落とし物を拾うとき、袖振り合うも多生の縁と考えるか、触らぬ神に祟りなしと考えるか、私と奧さんの考えが違っていました。
誰かの気持ちや思いがこもっている物は、次に使う人は迷います。消極的に考えれば、触らぬ神に祟りなしで、新品を求めた方が気持ちが安らぐそうです。
朝ゆっくり出来る冬の日に、奧さんが手の込んだ朝ご飯を作ってくれました。
塩鮭を焼いて、自然薯をすり下ろして、生卵をかけて、かなり精力の付きそうな献立です
朝ご飯を食べながら、先日の手帳を拾った件について、思い出しながら話しました。
昼食に行くため、センター街を奧さんと二人で歩いていると、足下に手帳が落ちているのを見つけました。
沢山の人通りの中で、手帳が落ちている事に気がつかないのか、あるいは気がついても拾う事を避けているのか、手帳はセンター街の路上でずっと拾われるのを待っていました。
私が手帳を拾おうとすると、奧さんは「やめて」と私が拾う事を嫌がっていました。
ここで、私と奧さんの考えが真っ向から違っていました。
ことわざに、『袖振り合うも多生の縁』と言います。
仏教の考え方では、因果律と言って、今起きている事はその前に何らかの原因があり、その原因の結果、今があると考えます。
これに対して、神道の考え方には、『触らぬ神に祟りなし』と言います。
奧さんの考えでは、手帳を拾ったことが、何かに災いするのではないかという心配です。
私の考えは、目の前に落ちている手帳も、何かの縁で私が拾う事になるのではないかという考えです。
結局私は手帳を拾いました。
そして、持ち主を捜すために、手帳の中を見て、連絡先を見つけました。
落とした方は女性だったので、私から電話すると不審に思われると思い、奧さんに手帳を返すように落とし主に連絡してもらいました。
相手の方は大変喜んで、すぐにでもと取りに来られました。
受け渡し場所は、センター街と京町筋が交差する我が社の1階店にしました。
結果は、袖すり合うも多生の縁の通り、落とし主は大変喜んで、次回コンタクトを作る時は、我が社で作りたいと言われていたそうです。
しかも感謝の気持ちを込めて、手土産を用意してくれました。
今日の朝食の蕪漬けは、先日私が付けたカブラです。
卵は、センタープラザ地下の郷土料理「土佐」で頂いた、次郎の卵です。
自然薯は、四国の奧さんの知人から頂いた山芋です。
山芋をすり下ろして、次郎の卵をかけてかき混ぜると、粘っこいトロロ汁が出来ました。
このとろろ汁を、炊きたてのご飯の上にかけて頂きます。
とろろ汁は、ごはんと絡み合って、とてもスムーズに喉を通っていきました。
これではあまり噛まないで食べたことになるので、もっと噛んだ方が良いと思いつつも、山芋の滑りの良さに、喉の関所はすうっと通り越してしまいました。
塩鮭の焼き方も良く、大根おろしと柔らかいちりめんの組み合わせも良く、大変美味しい朝ご飯を頂く事が出来ました。
因果律を大事にするか、たたりのない事を大事にするか、奧さんの心の内はまだ迷っているようです。