露天神社で、お初と徳兵衛の曾根崎心中物語を思い出しました。
曾根崎心中の舞台となった露天神社(つゆのてんじんじゃ)の境内の周りは、今では飲食店を中心に大変な賑わいの場所になっています。
大阪駅の近くの曾根崎新地辺りを奧さんと二人で歩いていると、このあたりには、江戸時代の昔、哀しい恋の物語があったことを思い出します。
それは、日本のシェイクスピアと呼ばれる近松門左衛門が書いた、曾根崎心中物語です。
曾根崎の露天神社(つゆのてんじんじゃ)の森で、実際に起きた心中事件をテーマに、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は事件から一年以内に、人形浄瑠璃「曾根崎心中」に書き上げました。
今の時代から見ると、なぜ徳兵衛とお初は心中しなければならなかったのか理解しにくい事ですが、何しろ元禄時代の1703年の頃なので、今から300年以上の時代なら、親か、もしくは親代わりの人の言うことは絶対的で、逆らうことは、死を覚悟するほどの決意がいることだったようです。
露天神社では、まず、無病息災、家内安全を祈願して、神様に手を合わせました。
露天神社を有名にしたのは、この神社の神様よりも、むしろ、近松問左右衛門です。
露天神社はどこですか?と尋ねるよりは、お初天神はどこですか?と尋ねた方が、付近の人達には尋ねやすい名前です。
お初と徳兵衛の二人の銅像は、露天神社の左脇に祀られていました。
曾根崎お初天神は、今では縁結びとして参拝する人達の気持ちを集めています。
男女の強い絆の事を、連理の枝、比翼の鳥と言います。
引き離そうとしても、ちょっとやそっとでは離れない決意の表れです。
2人の純愛から縁結びの神社として親しまれています。えんむすびの絵馬に2人の願いを書いて、恋の行方を成就するよう祈願しましょう!
昔も今も、恋愛は反対があった方が、むしろ燃えるのでしょうか?
奧さんにお初徳兵衛の曾根崎心中のストーリーを、手短に話しながら、お詣りをしました。
皆さんから祝福される方が良いのか、それとも大きな反対にあった方が良いのか、難しい問題を奧さんを相手に話してみました。
どちらが良いとも言えなくて、やはり、長期的な結果次第だということになりました。
いくら燃えて、ゴールインしても、あっさり別れるカップルもいるし、人の気持ちはよく変わるから、長い期間で判断するしかありません。
曾根崎は大阪駅にも近く、ビジネスの中心地淀屋橋にも近く、この周りには、夜になったら賑わう、飲食店が沢山あります。
二人で、この近くの飲食店で飲んで食べた後、お初天神に立ち寄って、この後の二人の仲が上手くいきますようにと願う人は、たくさん居るようです。
お初と心中するとき、徳兵衛は、お初の体を木にくくりつけて、短刀でお初を刺そうとためらっているとき、お初の方から、徳兵衛に早く早くと督促をしたと書かれています。
お初を刺した後に徳兵衛も後を追って自害し、心中事件が起きたそうです。
江戸時代には、心中は御法度でした。
もし、近松問左右衛門が、浄瑠璃物語に書き上げてくれなければ、お初と徳兵衛は、ご禁制を破る罪人で、今のように、恋人達から祀られることもなかったのでしょうか?
歴史に残るには、事実だけでなく、事実を伝えてくれる人がいなければ、歴史に埋もれてしまう事件だったように感じました。