コンタクトレンズメーカー研究 コンタクトレンズとは (3)
コンタクトレンズメーカー研究 コンタクトレンズの商品特性と使い捨てレンズの普及による弊害
コンタクトレンズメーカー研究 市場規制の緩和による競争激化
コンタクトレンズは角膜に直接触れるので、
透析器や人工呼吸器などと同様の高度管理医療機器として、
副作用・機能障害を生じた場合の人体へのリスクが高いものと位置づけられている
(改正薬事法第2条第5項・2005(平成17)年4月施行)。
そのため、コンタクトレンズの処方には医療機関が介在し、
そこでは医療の非営利性の基本的原則が求められている[13])。
一方、コンタクトレンズの販売は営利性を有する販売企業が行い、
医療と販売とは医販分離となっている。
この点で、高度管理医療機器であるコンタクトレンズを販売するには、
企業と医療機関が連携しなければならない、という商品特性を有している。
コンタクトレンズを普及させるためには眼科医院と連携するか、
もしくは眼科医院を開設しなければならない。
しかし眼科医院開設にあたり、
眼科医会には地域ごとの適正配置という従来からの不文律があった。
これに対して一部から事業競争上不当な圧力ではないかという意見があり、
1997年に公正取引委員会より独占禁止法上問題となるおそれがあることを指摘する
「要請メモ[14])」」が日本眼科医会へ提示された(植田,1997)。
この「要請メモ」を契機として、
全国各地の眼科医会は適正配置の判断に慎重となり、
販売企業にとっては眼科医院開設の障壁が低くなり、
全国的に新規参入が容易になった[15])。
その結果、価格競争が全国的に激しくなった。
健康保険診療報酬による廉価販売の補填
一方、コンタクトレンズの処方を行う併設眼科医院でえられる健康保険診療報酬を、
低価格訴求の原資とした廉価販売システムが都市部で現れた。
使い捨てレンズを低価格で大量販売する「過度の」価格競争は、
使い捨てレンズを製造・販売していない国内メーカを巻き込み、
国内メーカの収益力を低下させた。
収益力の低下により研究開発投資ができにくくなった結果、
国内メーカの技術革新が進みにくくなり、
国外メーカ中心の使い捨てレンズ企業に対する競争力は低下した。
競争力の低下は収益をさらに減少させた。
このように、「過度な」価格競争により使い捨てレンズを製造・販売していない
国内メーカの収益力が低下するという悪循環が生ずる。
「過度な」価格競争の問題点は、価格競争そのものではなく、
低価格を健康保険診療報酬によって補填するという仕組みにある。
それは、事業システムが単に「収益をあげるからくり(加護野・井上,2004)」
と捉えられていることでもあり、企業の社会的責任(CSR)に反することである。
健康保険制度では、経験を長く積んだ眼科専門医の丁寧な診察であっても、
他科目を専門とする「にわか眼科医師」による診察であっても、
支払われる報酬にあまり差がないので
、保険収入を最大化するために、コンタクトレンズの安売り広告で装用希望者を集め、
検査、取扱説明を短時間で済ませ、
レンズ価格は仕入れ価格並み、
あるいは「廉価販売」となっている販売店も数多く見られる状況をまねいた。
日本眼科医会(2003)の調査によると、
「コンタクトレンズに関する専門知識を持たない無資格者や他科専門の医師による処方が行われている」
ことが指摘されている。
コンタクトレンズ使用およびレンズケアに関する説明指導が不十分だったり
、眼に異常があったりした際の適切な処理ができないケースもあり、
自分で治療せずに他の病院を紹介する「悪質」なケースも多々あると報告されている。
診療報酬の不適切な請求が2008年度の診療報酬改定の審議の中で大きく問題として取り上げられ、
診察や問診等によってコンタクトレンズの装用歴を確認することなしに、
初回装用として算定したり、
屈折異常に対する継続的な診療中にも関わらず、来院の都度、初診として取り扱い、
初診料を算定したりする事例が報告されている[16])。
使い捨てコンタクトレンズの普及とともに眼障害の増加が報告されている。
日本眼科医会(1998年より毎年継続調査を実施)によると、
2000年の1年間のコンタクトレンズによる眼障害の症例は68,045件であった。
回収率が5.4%であることから推測すると、
全国では約120万件の眼障害が発症していることとなる。
当時(2000年)のコンタクトレンズ使用者人口は約1,200~1,300万人なので、
装用者の10%程度が眼障害で治療を受けた事になる。
原因の一つとして、
「使い捨てレンズ等の普及による不適正な使用による障害の発生」があげられている。
使い捨てレンズの使用期間は定められているものの、
使用上のコンプライアンスはユーザに任せられ、
ユーザは自己の判断で使用期限を定めることが可能であり、
高度管理医療機器として重要な使用上の安全管理が制度的に確立されていない[17])。
コンタクトレンズメーカー研究 メニコンが競争劣位となった経緯
本研究で取り上げる事例企業は、
1951年にわが国で初めてハードコンタクトレンズ
(以下、ハードレンズ)の実用化に成功して以来、
市場リーダとして製造・流通を通して
わが国のコンタクトレンズ市場を築いたわが国最大級のコンタクトレンズメーカのメニコンである。
メニコンは、先発企業として競争優位にあったが、
1990年代に国外メーカが開発した使い捨てレンズの普及が同社の経営状況を悪化させた。
使い捨てレンズの商品開発への取り組みを否定
1990年代のはじめ、使い捨てレンズがわが国に登場した際も、
1995年に1dayタイプの使い捨てレンズが市場へ登場した際にも、
メニコンは使い捨てレンズ事業への取り組みを否定していた[18])。
メニコンの営業利益をみると、1998年度には約46億円の黒字であったが、
その後徐々に低下し、2002年度及び2003年度の決算期においては赤字決算となった。
業績がピークを迎える1996~1997年度頃(1996年度の売上高は326億円、1997年度は328億円)に、
一部の経営幹部は当時の企業間競争の行方に危機感を抱いた。
先発企業から競争劣位へ
使い捨てレンズの出荷額合計[1])とメニコンの売上高を比較する(図4参照)。
メニコンの売上高の成長は1970年代から始まり、
その後1997年度までおよそ25年間続いてきた。
この売上高の成長は酸素透過性の高いハードレンズとソフトレンズの開発によりもたらされた。
1991年から始まった使い捨てレンズ企業の出荷額は、
1995年の「1day」製品の登場により急激に伸び、
1997年にはメニコンの売上高に追いつき、その後両者の格差は広がる一方で、
メニコンの事業は使い捨てレンズの事業に対して、
事業の仕組みの差別化を新しく構築し直すべき状況となった。
1997年度の決算をピークに、メニコンの売上高は急激に低下している。
コンタクトレンズ全体の出荷額に占めるメニコンのシェアを見てみると(図5)、
1996年には20.5%であったが、翌1997年に17.8%に低下し、
2003年には10.0%まで低下している(矢野経済研究所,1997-2004)。
主製品であるハードレンズの改良を重ねてきたが、
顧客の反応が鈍くなってきたと感じられるようになった[20])。
急激に使い捨てレンズが普及することにより、
メニコンにあっては、事業の存続に関わる課題に直面することとなった。
図5 メニコンおよび国内企業とJCB3社のシェアの比較
出所:矢野経済研究所「コンタクトレンズに関する市場動向調査」
(1997版、2004年版)より筆者作成
注:Jはジョンソン・エンド・ジョンソン、Cはチバビジョン、Bはボシュロムをそれぞれ表す
メーカーリンク
メニコン
ボシュロム・ジャパン (Bausch&Lomb、BAUSCH&LOMB)
ジョンソン・エンド・ジョンソン(アキュビュー)
アルコン
シード
日本コンタクトレンズ
サンコンタクトレンズ
HOYA
クーパービジョン(旧セイコーオプティカル→オキュラー社傘下)
アイミー(旧旭化成アイミー→クーパービジョン傘下)
レインボーオプチカル研究所
Innova Vision
ロート製薬
東レ(東レインターナショナル)
オフテクス