萬翠荘は、現在価値で建築費20億円くらいだそうです。
萬翠荘には、昭和天皇がご利用された朝食用のイスとテーブルがあり、触れる事ができました。 松山(16) 社長ブログ神戸/旅行 松山/萬翠荘
坂の上の雲ミュージアムから、向こうの森にヨーロッパ風建築の萬翠荘(ばんすいそう)が見えます。
坂の上の雲ミュージアムの見学コースの途中に、馬の模型の展示物があり、ちょっと乗ってみました。
馬に乗ると、視界が変わる事が分かります。
ミュージアムを見終えた後は、あの萬翠荘に行く事になりました。
ミュージアムの入り口に、松山市の名称を案内するボランティアの方が待機しておられました。
ちょっとしたきっかけで話がはずみ、その方から「次はどこに行くんですか?」と尋ねられ、萬翠荘へ行く予定を話すと、だったら私が案内しましょうと、親切な提案を頂きました。
ボランティアなので、案内料は辞退されています。
坂の上の雲ミュージアムから次の萬翠荘までは、歩いて5分程度の近距離です。
ここからは、ガイドさんから聞いた話です。
萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものだそうです。
この萬翠荘の建築費は今のお金にしてどのくらいだと思いますか?と、ガイドさんからの質問です。
誰も答えられなかったので、私が「20億円くらいでしょうか?」と、見積もってみました。
すると、大当たりで、「これまでガイドをしていて、この質問を当てた人はいません!」と、驚かれました。正確には、19億円~20億円の間くらいの金額です。
陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られたところであり、また、裕仁親王(後の昭和天皇)の松山訪問に合わせ、完成を急がせたとも伝えられているようです。
萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、昭和60年(1985年)に愛媛県指定有形文化財となったようです。
その後、平成23年(2011年11月29日)に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定されています。
このシャンデリアの下が、パワースポットとして人気がある場所です。
ステンドグラスの前で記念撮影です。
工夫しているのは、居間に座って向こうを見ると、このステンドグラスが真正面に見えるように居間と机の場所を設計している事です。
大航海時代を連想させるような、ロマンとベンチャーに満ちた帆船です。
このイスは、かしこくも昭和天皇がこの萬翠荘に2泊されたとき、このイスとテーブルを使ってお食事をされたそうです。
神戸の異人館なら絶対に座る事が出来ない文化財のイスですが、萬翠荘では昭和天皇が利用されたイスに市民の皆さんが座る事を許されています。
一時間足らずの短い見学時間でしたが、神戸の異人館に決して引けを取らない素晴らしい建物でした。
一緒に案内してくれたのは、松山大学の講師に赴任された竹田英司さんと、そのゼミ生の生徒さん達です。
次に行く松山城にも同行して、私たちのお世話をしてくれるそうです。
竹田英司さんからは、学生の皆さんに、社会人としての見識を教えてあげて欲しいと言われました。
2015年11月29日(日)