毋忘在莒とは、「莒(きょ)に在ることを忘るべからず」のことです。

国民党と、中国共産党の戦闘状態は、いつまでも続きません。中台首脳が初会談しています。社長ブログ神戸/新聞/中台首脳が初会談

中華人民共和国と、中華民国は、長らく対立関係にありました。

対立の始まりは、 太平洋戦争の末期の頃、蒋介石が率いる国民党と、毛沢東が率いる中国共産党の争いからです。

劣勢になった蒋介石は1949年に中国大陸から台湾に拠点を移し、台湾からもう一度中国大陸に戻ろうと、その機を伺っていました。

1954年には中国が台湾の金門島を攻撃して、台湾も反撃し、一次は、第三次世界大戦になるのかと世界を震撼させました。1954年から66年も経過すると、もう体勢は固まってしまいました。

現実を受け入れて考えれば、武力による統合は、国際社会が許さない事がハッキリしています。

松葉博雄が若かりし頃、台湾へ行った事があります。

その頃は軍事的緊張感は強く、飛行場では写真撮影が禁止でした。

都市部の道路は広く作られ、万一、戦争状態になったときは、飛行場の滑走路として使えるように設計していました、

街のあちらこちらには、毋忘在莒のスローガンが掲示されていました。

毋忘在莒とは、「莒(きょ)に在ることを忘るべからず」のことです。

その意味は、戦後時代、斉の将軍田単が莒と即墨の二城を基礎に軍を整え、治世に励んだ結果、斉の国を再興した故事によるものです。

台湾にいても大陸に戻る事を忘れてはいけないと、蒋介石は中国大陸から移ってきた外省人の人達に呼びかけていました。

元から台湾にいた人達の事を、内省人と言います。内省人にとってみると、中国大陸に帰りたいと思っていたかどうかは疑問です。

台湾を訪問した頃の台湾の田園には、まだ水牛が荷車をひっぱって、農業に使われていました。

農地を持っている元から居る台湾の内省人の人達は、戦前、日本の教育を受けて育っています。

日本の教育を受けて、日本語の読み書きが出来て、日本語がしゃべれて、日本には好意的な感情を持った人が多く居るなぁと思いました。

この人達は、中国大陸の事を知りません。

駅には蒋介石の写真が飾られ、台湾が国民党の支配下にあることを示していました。

今回の初めての中台首脳会談のポイントは、

・「一つの中国」の原則を守る事を確認

・担当官庁間のホットラインを開設

・台湾アジアインフラ投資銀行、一帯一路(新シルクロード構想)への参加を歓迎

・中台間の経済協力枠組み協定(ECFA)の具体化を推進

・青少年や文化の交流を拡大

国際関係を見れば、いつまで経っても紛争が終わらない国と地域もあれば、時代が変われば紛争が収まる国も現れるようで、一体憎しみの紛争の根源とはなんなのか、と考えます。

やはり、長引く紛争は、宗教から来る価値観の違いでしょうか?

2015年11月8日(日)