志度寺の美しさは五重塔に尽きます。

 志度寺の境内の特徴は、植木屋さんの敷地を巡るような、値段の付いた苗木が並んでいることです。  四国八十八ヶ所巡り(8)

四国八十八ヶ所霊場 第八十六番札所 志度寺に来ています。

 

志度寺の歴史と由来を調べてみました。

香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。海のはるか向こうには、屋島や五剣山の稜線を望めます。開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。

海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけられました。

その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。

室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するが、戦国時代に荒廃。その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀吉などに仕える)による支援を経て、寛文10年(1671年)高松藩主松平頼重の寄進などにより再興されました。

志度は、江戸時代の奇才平賀源内の故郷であり、近くに記念館があるそうです。

(以上 四国八十八ヶ所霊場会 公式ホームページより)

志度寺の見所は、仁王門(国指定重要文化財)、本堂・本尊(国指定重要文化財)・海士の墓だそうです。

仁王門は、門前町の突き当たり、運慶の力作、仁王像と巨大わらじが迎えてくれる、全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まいです。本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進されたそうです。

本尊・十一面観世菩薩立像、さらに両脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像は平安時代の檜一木造りだそうです。讃岐藩主、松平頼重により寄進された本堂とともに全て重要文化財に指定されています。

そして、能楽でも詠まれる藤原家にまつわる悲話の舞台、藤原房前が母のために建立したと言われる「海士の墓」が約20基並んでいます。海士の命日である7月16日には、「志度寺の十六度市」が開催されています。この日は年に一度、本尊十一面観音の御開帳を行っているそうです。

また、曲水式庭園があります。

「曲水式庭園」は室町時代の作庭で、天に向かいそびえる力強い石組が印象的だそうです。書院の正面に作庭された無染庭は禅式枯山水庭の定型を採り竜安寺を感じさせます。

五重の塔は、高さ33mだそうです。1973年から着工され、1975年5月に落成しました。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進されたそうです。

奧さんは、あちらこちらのお堂の前で足を止めて、お賽銭を入れて拝んでいます。拝んでいると言うよりはお願いをしています。

この美しい五重塔に似合うのは、五重塔が映る池です。池があれば、もっと五重塔はその美しさを鏡に映すように、魅力的に見えてきます。

ただただ、五重塔の美しさに感心しながら、場所を変えて、角度を変えて、美しい五重塔を写しました。

空が晴れて、五重塔も大空を背景に、下から見上げると、とても綺麗です。志度寺の印象は、この五重塔の美しさに尽きます。

2014年12月11日(木)