藤井寺は、四国巡礼八十八ヶ所の第十一番目の札所です。

藤井寺で、密教と顕教の違いについて、なんとなく比較しながら考えて参拝しています。実在したブッダと、想像上の大日如来の違いを、理解しようとしています。  四国八十八ヶ所巡り (8)

四国巡礼をしていると、気がつくのは、お寺に、お寺の小僧さんの姿をした案内板があることです。

ここは、四国霊場第十一番札所 藤井寺です。

駐車場に車を入れると、土地所有者から、300円の駐車料金を請求されました。一日に相当な駐車があり、1台ごとに300円を頂くと、10台で3000円、100台で30000円です。これはなかなかいい収入です。

藤井寺まで、駐車場から僅かな距離です。藤井寺に向かって左手に、小川があります。その小川の側に、四国自然歩道の看板がありました。

全長236キロ、四国最大の吉野川が阿波の北部を貫流しています。阿波中央橋を南に渡り、およそ3キロの山麓に十一番霊場の山門が見えてきます。

三方を山に囲まれ、渓流の清らかな仙境に心を惹かれた弘法大師が、この地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられています。

大師は42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して、堂宇を建立しました。

その地からおよそ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされました。その堂宇の前に5色の藤を植えたという由緒から、金剛山藤井寺と称されるようになったようです。

寺は、真言密教の道場として栄え、七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展しました。しかし、天正年間(1573〜92)の兵火により全山を焼失、江戸時代初期まで衰微しました。

その後、延宝2年(1674)に阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し、その折に宗派を臨済宗に改めています。天保3年(1832)に再び火災に遭い、本尊以外の伽藍はすべて灰燼に帰したようです。

現在の伽藍は、万延元年(1860)に再建されたものだそうです。本尊は、「厄除け薬師」として親しまれており、国の重要文化財に指定されています。

(以上 四国八十八ヶ所霊場会 公式ホームページより)

本堂の中に、雲龍の天井画があります。これは昭和52年に作られたもので、地元出身画家の作で30畳ほどの巨龍となっています。

真言密教と呼ばれる空海の教えは、基本は密教です。では、密教とは何でしょう。密教の対語は、顕教です。密教と顕教を比べてみれば、

顕教は、衆生を教化するために姿を示現した釈迦如来が、秘密にすることなく明らかに説き顕した教えです。

密教は、真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えである故に容易に明らかにできない秘密の教えです。(wikipediaより引用)

思うに、釈迦如来はブッダのことで、ブッダは、この世に実在した指導者です。

これに対して、大日如来は、実在した人間ではありません。

密教と顕教の違いを考えながら、藤井寺を参拝しました。境内は、さほど広い境内ではありません。参拝もすぐに終わりました。

藤井寺を出て、これから、次の第十二番の札所に行く予定です。そろそろ日が陰り始め、早くも肌寒さを感じています。

2014年11月27日(木)