熊谷寺で思ったことは、お願い事は神社でしましょう。お寺では、心の平安を得られるようにお祈りしましょう。
熊谷寺の山門の仁王像は、鮮やかな色彩の鎧を着て、悪魔から仏を護っています。 四国八十八ヶ所巡り(3)
四国霊場第八番札所 熊谷寺のお詣りです。
熊谷寺(くまたにじ)の多宝塔の美しさに、モミジの紅葉の美しさに感心しながら、本堂に向かいます。
四国霊場のなかで最大級の仁王門を構えているそうです。縁起によると弘仁6年、弘法大師がこの地の閼於ヶ谷で修行をされていました。
その折、紀州の熊野権現があらわれ「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ、5.5センチほどの金の観世音菩薩像を授け、虚空はるかに去っていったといわれています。
大師はその場にお堂を建てて、霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、その胎内に金の尊像を納めて本尊にされた、と伝えられています。
元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には、「境内は清幽で、谷が深く、水は涼しく、南海が一望できる。千手観音像の髪の中には126粒の仏舎利が納められてある」という意の記述があるそうです。境内にその鎮守堂があり、熊野権現が祀られています。
元禄のころ(1688〜1704)までに幾度か火災にあった説もあるそうです。ただ、昭和2年(1927)の火災では本堂とともに弘法大師作のご本尊も焼失しています。
その後、歴代住職の尽力により本堂は昭和15年に再建されましたが、第2大戦で工事が中断、ようやく同46年に堂宇の全容が完成、新造された本尊の開眼法要が営まれました。
前述の仁王門は、貞享4年(1687)の建立で、徳島県の指定文化財です。和様と唐様の折衷様式で、間口は9メートル、高さは12.3メートル。2層目の天井や柱には極彩色の天女の姿などが描かれています。
大師堂に安置されている弘法大師坐像は室町時代の作で、県指定の文化財だそうです。
ここで、松葉博雄の疑問が湧いてきます。確かに、弘法大師は偉く、あちらこちらにお寺を建て、ため池を堀り治水をして、多くの人を救済しています。
しかし、弘法大師も人であり、一日の時間は24時間で、その昔、飛行機も自動車もない時代に、歩いて行くしか方法のない交通手段の中で、よくもまぁこんなに沢山の業績を残したものだと、感心すると共に不思議に思います。
後世の人が、あれもこれも弘法大師の業績にしたのかもしれません。お寺の役目は、お願いを叶えてもらう所ではありません。
お寺の役割は、心の平安を得るところです。お願いして、助けてもらうのは、神様をまつる神社です。
そう思いながら、弘法大師の開いた四国八十八ヶ所の巡礼に励んでいます。とにかく、心の平安こそ、心の平安を得ることこそ、仏教の目的です。
では、どうしてお寺にお願いをして、お願いが叶うように拝むのでしょうか?これが、神仏融合の不思議さだと思います。
四国八十八ヶ所の巡礼に行けば、本堂とは別に、弘法大師を祀る大師堂があります。
希望を弘法大師に叶えてもらうという、他力本願をやめて、願いごとは自分で叶えられるように努力をして、その努力が平常心で行われるように、心の平安を得られるようにと、心掛けてお詣りしました。
松葉博雄の奥さんは、この熊谷寺の境内の雰囲気を気に入っています。何カ所か廻ってみると、同じ弘法大師を祀る八十八ヶ所であっても、そのお寺の独自性があります。
どこに魅力を感じたのか、どんな所が雰囲気として良かったのか、奥さんの言葉をかみしめて、熊谷寺の境内を注意深く歩いています。
徳島県の霊場
1. 竺和山 一乗院 霊山寺
2. 日照山 無量寿院 極楽寺
3. 亀光山 釈迦院 金泉寺
4. 黒厳山 遍照院 大日寺
5. 無尽山 荘厳院 地蔵寺
6. 温泉山 瑠璃光院 安楽寺
7. 光明山 蓮華院 十楽寺
8. 普明山 真光院 熊谷寺
9. 正覚山 菩提院 法輪寺
10. 得度山 灌頂院 切幡寺
11. 金剛山 一乗院 藤井寺
12. 摩廬山 正寿院 焼山寺
13. 大栗山 花蔵院 大日寺
14. 盛寿山 延命院 常楽寺
15. 薬王山 金色院 国分寺
16. 光耀山 千手院 観音寺
17. 瑠璃山 真福院 井戸寺
18. 母養山 宝樹院 恩山寺
19. 橋池山 摩尼院 立江寺
20. 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
21. 舎心山 常住院 太龍寺
22. 白水山 医王院 平等寺
23. 医王山 無量寿院 薬王寺
2014年11月27日(木)