法輪寺の法輪とは、ブッダの教えを世の中に広める、輪を表しています。法輪は、インドの国章にもなっています。
四国霊場第9番目の法輪寺のご本尊は、涅槃釈迦如来です。 徳島 (15)
四国霊場巡りです。四国をドライブしていれば、偶然、何番目かのお寺に、遭遇することがあります。
今日は、片山正喜さんの運転で、四国霊場 第9番 正覚山 菩提院 法輪寺に来ました。
法輪ということは、どういう意味でしょうか?これがすぐ分かれば、かなり仏教に明るいと言えます。
松葉博雄は、インドに巡礼に行ったとき、法輪の意味を知りました。
初期の原始仏教では、仏陀の姿を直接礼拝していませんでした。
ブッダは、あまりにも尊い存在なので、ブッダの足跡とか、ブッダが教えを説いた教えを法輪とし、その象徴として、荷車の車の車輪を、教えを回す輪として、それを、ブッダの教えを回す、法輪になぞらえて、車輪の輪を礼拝していました。
法を回す輪であることから、法輪という形が、仏教の礼拝の中に出てきます。
インドのサルナートにある博物館では、法輪は、獅子が法輪の上に乗り、ブッダの教えを守護しています。この法輪は、インドの国章になっています。
インドは現在、仏教徒は少数派で、ヒンズー教が多数派ですが、国章には、ブッダの教えの、法輪を回す獅子の像が、国章になっています。
このように、ブッダの教えと法輪は、強いつながりがあり、それで、お寺の名前にも、法輪寺がよく使われています。
正覚山(しょうかくざん)菩提院(ぼだいいん)と号し、本尊は涅槃釈迦如来です。
この、正覚山の名前も、インドでブッダが修業した、ブッダガヤの前正覚山の名前に因んでいます。
法輪寺について、wikipediaで調べてみました。(以下wikipediaより)
「巡錫中の空海(弘法大師)が白蛇を見、白蛇が仏の使いといわれていることから釈迦涅槃像を刻んで本尊として開基したと伝えられている。当初は現在地より4キロメートル北方の法地ヶ渓にあり白蛇山法林寺と号した。」
「天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失。正保年間(1644年 – 1648年)に現在地に移転して再興され、現在の山号、寺号に改められた。その後安政6年(1859年)に火災で全焼、明治になって現在の堂宇が再建された。」と書かれています。
礼拝をする、外で手を合わせる場所と、ご本尊様との間に、紐が結ばれ、礼拝する人が、ご本尊様と、紐で繋がるように、伸びています。
日本のお寺には、いろいろなご本尊が、祀られています。お寺は、仏教を根本としているので、ご本尊も、ブッダに繋がるものであればいいのですが、仏教でありながら、まるで仏教に繋がらないご本尊もあります。
今日の法輪寺のご本尊は、涅槃釈迦如来ですから、ブッダ自身をご本尊にしているので、安心して参拝できます。
こちらは本堂上部の写真です。納経所では、足腰お願いわらじが売っています。昔、松葉杖なしでは歩けなかった人が参拝にきたとき、参道の真ん中あたりで足が軽くなり、
松葉杖なしでも歩けるように完治したという伝えがあり、本堂にはたくさんの草鞋が奉納されているそうです。
安政6年(1859)に火災で全焼したときは、村人が浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に、堂内から出火したと伝えられ、鐘楼堂だけを残して全焼したようです。
明治時代になって再建されたのが現在の堂塔で、開帳は5年に1度、行われているそうです。
現在の鐘楼は、戦後に作られたものです。戦前に作られたものは、いまよりも大きなものだったと言われています。
鐘楼台の傍には、沖縄でよく見る、バナナの葉に似た、芭蕉の葉が茂っています。芭蕉の葉も、仏教の教えとも、繋がりがあるのです。
芭蕉の葉は強そうですが、筋に沿って葉を引っ張れば、すぐに切れてしまいます。芭蕉の葉は強そうに見えても、実のところ弱いので、仏教では、人の世のはかなさを表しています。
徳島県の霊場は、これだけあります。
1. 竺和山 一乗院 霊山寺
2. 日照山 無量寿院 極楽寺
3. 亀光山 釈迦院 金泉寺
4. 黒厳山 遍照院 大日寺
5. 無尽山 荘厳院 地蔵寺
6. 温泉山 瑠璃光院 安楽寺
7. 光明山 蓮華院 十楽寺
8. 普明山 真光院 熊谷寺
9. 正覚山 菩提院 法輪寺
10. 得度山 灌頂院 切幡寺
11. 金剛山 一乗院 藤井寺
12. 摩廬山 正寿院 焼山寺
13. 大栗山 花蔵院 大日寺
14. 盛寿山 延命院 常楽寺
15. 薬王山 金色院 国分寺
16. 光耀山 千手院 観音寺
17. 瑠璃山 真福院 井戸寺
18. 母養山 宝樹院 恩山寺
19. 橋池山 摩尼院 立江寺
20. 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
21. 舎心山 常住院 太龍寺
22. 白水山 医王院 平等寺
23. 医王山 無量寿院 薬王寺
2014年8月28日(木)