太龍寺の本堂、多宝塔、大師堂、鐘突堂を回りました。
太龍寺は、四国八十八箇所霊場の第二十一番札所です。 徳島ツアー(6)
舎心山太龍寺は、徳島県阿南市加茂町にある高野山真言宗の寺院です。舎心山(しゃしんざん)、常住院(じょうじゅういん)と号します。
四国八十八箇所霊場の第二十一番札所です。創建年は(伝)延暦12年(793年)、開基は(伝)桓武天皇(勅願) 、空海(弘法大師)です。
太龍寺山の山頂付近に位置する大伽藍は、西の高野と称され、阿南室戸歴史文化道への指定、とくしま88景の選定を受けている場所でもあります。阿波では「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称され、へんろころがしと呼ばれる難所の一つです。(以上ウィキペディア参照)
山門の入り口には、残雪を利用して、シロクマか、それともワンちゃんなのか、可愛い動物の雪像が作られています。
お参りの前の、清めの水です。うっすらと氷が張っていて、いかにも寒そうです。
石段には、途中途中年代が書かれていて、最後は「百歳おめでとう」です。
太龍寺の本堂は、阿波藩主蜂須賀公の命により嘉永5年(1852)に建立されたそうです。
本尊は「虚空蔵菩薩」弘法大師の御作だそうです。
虚空蔵菩薩は虚空蔵さんと呼ばれていて、13歳の時にお参りするとよいと勧められています。
太龍寺多宝塔が見えます。高さは約18mです。
文化遺産オンラインによれば、本堂北側の高台に建つ多宝塔の、下層は方三間の周囲に縁を廻らし、組物出組、二軒繁垂木とし、上層は円形平面、四手先組物で、二軒扇垂木の軒を支え、上下層とも銅板葺とする。四天柱内を折上格天井とし虚空蔵菩薩を安置する塔です。
雪が残る、残雪の道を、滑らないように用心しながら、さらに奥へと歩いて進んでいます。
確かに、高野山の一部の雰囲気が伝わります。高野山ほど、広大ではありませんが、高野山の特徴の、何百年もの樹齢のスギやヒノキが、歴史の重みを伝えてくれます。
大師堂に近づきます。
向こうに見えるのが、弘法大師を祀った、大師堂のようです。行ってみます。雪道をそろりそろりと、大師堂に向かって進んでみます。
いのちのいずみでは、弘法大師様にお会いする資格があるか、尋ねられています。その資格とは、
一、小善を積んでお大師様に近づくのだ
一、向かい合う人をお大師様と思え
一、苦悩を背負う時こそ背筋を伸ばせ
と書かれています。
とても寒い、身の引き締まるような空気です。この霊場で、弘法大師の教えを学ぶ修行僧は、寒さと戦いながら、修行に励んでいるのかと思うと、頭が下がります。
大師堂に上がることが許されていました。大師堂を一巡してみました。上を見ると、見事な木彫りの彫刻です。
日本の文化は、ずいぶんと奥深く、多様性もあり、歴史もあり、ここ、2~300年の新興国とは、文化の奥深さが違います。
あれれ、こんなところに動物の置物が集まっています。干支の置物かと思えば、ねこがあるので、干支でもないようです。なんの集団でしょうか。
ひとつの梢から、もうひとつの枝が新しい命を、生み出しています。異株同根と表示されています。つまり、スギとヒノキが共存した、珍しい例のようです。
異株同根の木の下から、上を見上げると、先ほどの多宝塔が見えます。雪をところどころ残して、とても静寂感のある、美しい姿です。
さらに奥に進んでいきます。途中、鐘突堂があり、そこには大きな鐘がかかっていて、松葉博雄も思わず鐘を打って、その余韻を胸にしまいました。
いやはや、すごい文化財がずらりと並んでいて、どれをとっても、仏教文化の最高峰の文化財です。今日は、雪が残っているのが良かったです。
このような、雪の積もる、人里離れた里こそ、世俗の事柄から離れて、弘法大師の教えを今に引き継ぐ修行場として、とても重々しさを感じました。
2014年2月20日(木)