『豆を煮るにまめがらを炊く』丹波篠山川北産の黒枝豆を食べながら・・・

豆の文化、日本は豆の文化だそうです。そういえば、醤油、味噌、豆腐、小豆から出来るあんこなど、まめ マメ 豆だらけです。

丹波篠山の川北産の黒大豆枝豆が、ヤマト宅急便で届きました。親戚からの贈りものです。

枝豆を頂いて、梱包を開けて、枝豆を取り出し、一つ一つ豆を枝から切り離し、これから頂く分量を湯がきます。

外国人が日本の文化について、日本の文化の特徴は、豆の文化だと、聞いたことがあります。そういえば、日本は豆の文化です。醤油もそうです。味噌もそうです。味噌汁の素は、豆から出来ています。

豆腐もそうです。油揚げもそうです。あずきもそうです。小豆から、あんこが出来て、あんこを使って和菓子が出来ます。

そうすると、和菓子の文化も、根底では豆の文化が支えています。

三国志の中に、『豆を煮るに萁(まめがら)をたく』という、故事があります。

魏の曹植(そうしょく)が兄の曹丕(そうひ)(文帝)から、七歩あゆむ間に詩を作らねば罰すると言われ、「まめがらは釜の下にあって燃え、豆は釜中(ふちゅう)にあって泣く、と詠みました。

このことは、兄弟同士の争いの事を言っています。萁(まめがら)に入っている豆と殻は、本来は同じ根っこから生しているものです。

それなのに、まめがらを炊いて豆を煮ると、豆が熱くて悲鳴を上げています。

大家族制の時代では、一つの住居地に何代も続く家族が一緒に暮らしていました。一緒に暮らすと、家族の情が生まれ、一族のために協力しようという、団結が出来るのが普通です。

戦後から都市に人口移動が起きて、団地などで核家族が産まれてきました。核家族は親子2代だけの繋がりで、子供も成長すると、家から離れていきます。

家から離れた子供達は、それぞれがまた核家族を作っていきます。こうなると、兄弟間の繋がりは、希薄になり、豆を煮るに萁をたくといった、曹植(そうしょく)の嘆きと、同じ事が起きてきます。

奧さんが湯がいてくれた枝豆が出来ました。塩分を控えめにして、薄味の枝豆です。

枝豆を頂きながら、ビールを飲んで、日本の豆の文化や、曹植の故事を思い出して、枝豆を贈ってくれた親戚の方に、感謝の気持ちを抱いています。

2013年10月20日(日)