淡路島といえば、豪商 高田屋嘉兵衛です。

高田屋嘉兵衛といえば、船頭から身を起こし、廻船問屋になった豪商です。 同期生と神戸淡路旅行(7)

高田屋嘉兵衛といえば、択捉・国後間の航路を発見した優れた船乗りです。

うずしおクルーズで、大きな渦巻きを前に、デジカメのバッテリー不足により、鳴門の渦潮を撮り損ねてしまいました。

後悔先に立たずとはこの事で、昨夜みんなで大騒ぎをして酔っ払ってしまったので、充電をしないで寝てしまいました。

咸臨丸は、再び由良港へ戻ってきました。この後、すぐ近くの万代で昼食の予定です。

この万代は、前回奥さんと一緒に寄ったとき、「親父の法事があるので今日は休みます」と、食べ損ねた店です。

万代に入ると、女将さんにお願いして、すぐにデジカメのバッテリーを充電する為に、電気を使用させてもらいました。

掘りごたつの底の方に、コンセントがあるので、松葉博雄は腹ばいになって、コンセントを探しながら充電作業をしていると、女将さんはおもしろがって、突然、松葉博雄の腰の上にのっかかって、馬乗りになってきました。

びっくりしました。こんなこと、サービス業の女将さんがするのかなぁ!? それとも、これも親愛の情なのかなぁ? 周りで見てた人達は、手をたたいて喜んでいます。

万代のお昼の定食は2000円で、お魚も、天ぷらも、淡路牛の牛丼も、食べきれないほどの量でした。

次の訪問先は、最後に淡路を代表する英雄、高田屋嘉兵衛記念館です。五色町の都志にあります。

高田屋嘉兵衛の生涯を描いたのは、司馬遼太郎の小説、『菜の花の沖』です。全6巻を古本屋で1000円で出ているのを見つけ、読みました。

高田屋嘉兵衛は、江戸時代の豪商になった商人ですが、三井家、三菱(岩崎家)、住友家のように、子孫にまで家業を継がせ、財閥になるような道を歩んでいません。

高田屋嘉兵衛記念館では、最初にNHKのドラマで紹介された、豪商一代記を15分に編集した映像を見て、だいたいのストーリーを手短に紹介してくれました。

高田屋嘉兵衛が生まれたのは、明和6年(1769年)の事なので、当時の遺品はほんの僅かしか残っていません。ほとんどの展示物は、想像して作った展示物です。

嘉兵衛の死から6年後の天保4年(1833年)に、高田屋を継いだ弟の金兵衛が幕府から密貿易の疑いをかけられ、全財産を没収されて高田屋は没落しました。

この辺が政商となり、政府と協力して、ビジネスを進めていった、財閥と違うところです。

高田屋嘉兵衛公園は、広い公園です。バスがたくさん来ています。バスで来た人たちは、高田屋嘉兵衛顕彰館に入るのではなくて、別のところで遊んでいます。

この公園には、まだまだ他にも遊ぶ場所があるようです。

高田屋嘉兵衛が北海道から択捉と国後島への航路を発見した頃、そこに住んでいた人たちの生活ぶりを表す絵がありました。

現代のように、国と国の国境がはっきりと決められ、入国も出国も厳重に管理されてる時代と比べ、当時は、住んでいる人が自分の都合で、自分の生活のために、あちらこちらを行き来していたようです。

幕府からのご褒美は、名字帯刀を許すことです。これは、幕府にとってみたら減るものではなし、出費のかからないご褒美です。

高田屋嘉兵衛が使った北前船の模型がありました。これに乗って、日本海を回り、北海道にまで航行した船です。

日本の国にとって、とても重要な役割をした高田屋嘉兵衛も、幕府に使われ、その後継者は、幕府から財産没収を受け、これほどの偉業をなした高田屋を、没落させてしまっています。

2013年5月10日(金)