高田屋嘉兵衛といえば、淡路島五色町出身で、船頭から身を起こし、廻船問屋になった豪商です。高田屋嘉兵衛の生涯を描いたのは、 司馬遼太郎の小説、『菜の花の沖』です。 

高田屋嘉兵衛といえば、船頭から身を起こし、廻船問屋になった豪商です。 同期生と神戸淡路旅行(7)

高田屋嘉兵衛といえば、

高田屋 嘉兵衛(1769年2月7日 – 1827年4月30日)は、

江戸時代後期の廻船業者、海商です。

幼名は菊弥で、淡路島で生まれ、兵庫津に出て船乗りとなりました。

後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出しました。

国後島・択捉島間の航路を開拓した船乗りです。、

漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、

箱館の発展に貢献しました。

ゴローニン事件でカムチャツカに連行されましたが、

日露交渉の間に立ち、事件解決へ導きました。

出典 Wikipedia 高田屋嘉兵衛

淡路を代表する英雄、高田屋嘉兵衛記念館です。

五色町の都志にあります。

高田屋嘉兵衛の生涯を描いたのは、

司馬遼太郎の小説、『菜の花の沖』です。

全6巻を古本屋で1000円で出ているのを見つけ、読みました。

高田屋嘉兵衛は、江戸時代の豪商になった商人ですが、

三井家、三菱(岩崎家)、住友家のように、

子孫にまで家業を継がせ、

財閥になるような道を歩んでいません。

高田屋嘉兵衛記念館では、

最初にNHKのドラマで紹介された、

豪商一代記を15分に編集した映像を見て、

だいたいのストーリーを手短に紹介してくれました。

高田屋嘉兵衛が生まれたのは、

明和6年(1769年)の事なので、

当時の遺品はほんの僅かしか残っていません。

ほとんどの展示物は、想像して作った展示物です。

嘉兵衛の死から6年後の天保4年(1833年)に、

高田屋を継いだ弟の金兵衛が幕府から

密貿易の疑いをかけられ、

全財産を没収されて高田屋は没落しました。

この辺が政商となり、政府と協力して、

ビジネスを進めていった、財閥と違うところです。

高田屋嘉兵衛公園は、広い公園です。

バスがたくさん来ています。

バスで来た人たちは、

高田屋嘉兵衛顕彰館に入るのではなくて、

別のところで遊んでいます。

この公園には、まだまだ他にも遊ぶ場所があるようです。

高田屋嘉兵衛が北海道から択捉と国後島への航路を発見した頃、

そこに住んでいた人たちの生活ぶりを表す絵がありました。

現代のように、国と国の国境がはっきりと決められ、

入国も出国も厳重に管理されてる時代と比べ、

当時は、住んでいる人が自分の都合で、

自分の生活のために、

あちらこちらを行き来していたようです。

幕府からのご褒美は、

名字帯刀を許すことです。

これは、幕府にとってみたら減るものではなし、

出費のかからないご褒美です。

高田屋嘉兵衛が使った北前船の模型がありました。

これに乗って、日本海を回り、北海道にまで航行した船です。

日本の国にとって、

とても重要な役割をした高田屋嘉兵衛も、

幕府に使われ、その後継者は、

幕府から財産没収を受け、

これほどの偉業をなした高田屋を、

没落させてしまっています。

2013年5月10日(金)