忠海(ただのうみ)の由来は、平清盛の父 平忠盛の名前から 池田勇人の郷里。

忠海は忠盛の名を冠して付けられたといわれています。忠海は平忠盛(清盛の父)の瀬戸内海の海賊退治の功績を称えられ、この地一帯を賜りました、広島ツアー(5)

忠海 名前の由来

広島県 商工労働局 観光課によれば、

忠海は平清盛の父の名が付けられた町といわれています。

呉線の駅に、忠海という駅があります。

初めてこの駅の名前を見て、

タダノウミと読める人は少ないです。

忠海の由来は、

今まではっきりしませんでしたが、

2012年のNHK大河ドラマで、

平清盛の平家物語がドラマに取り上げられ、

それで、NHKの調べで分かった事があります。

広島県 商工労働局 観光課によれば、

忠海は平清盛の父の名が付けられた町といわれています。

「平忠盛(清盛の父)は、

瀬戸内海の海賊退治の功績を称えられ、

この地一帯を賜り、

忠海は忠盛の名を冠して付けられたといわれています。

松葉賢一の遺骨を抱いて 兄に忠海を見せています

松葉賢一の遺骨をお墓に納骨する道すがら、

兄賢一が幼い時に過ごした忠海の町に寄って、

兄に忠海を見せています。

穏やかな忠海を一望できる黒滝山や、

海に面したパーキングエリア「エデンの海」の

展望台も絶景ポイントとなっています。

JR忠海駅から見える黒滝山

忠海駅から真っ正面に見える、

やや高い山が黒滝山です。

忠海駅から真っ直ぐ、大通りが伸びていて、

黒滝山に向かって右側は、

かつては船が町に入れるように、

入り江が入り込んでいました。

左側には、入り江のすぐ向かいに、

旧広島銀行の忠海支店がありました。

港町として栄えた忠海の町は、

今では港は埋め立てられ、

せっかく風情のある入り江が、

住宅地になってしまっています。

昔の名残りを求めて、

車でゆっくり旧市街地に入って行くと

昔は乗用車が入って来る事は予想もしていなかったので、

道幅は狭く、車がすれ違うのも大変な細い道です。

忠海の市街地は細い道

旧市街地から忠海小学校の方に向かって、

踏切を越えて海辺の方に渡って行くと、

ここでも道が狭く入り組んでいて、

段々と細い道に入り込んでしまいました。

行く先は通行止めの看板が出ています。

左に回れると思って車を通行止めの処まで進めて行くと、

予想に反して左側には回れませんでした。

こうなると右にも行けず、左へも行けず、

どうにもならない袋路です。

何とかここで方向転換しないと、

戻るに戻れません。

やっとの思いで方向転換が出来、

汗びっしょりになりました。

戻り道に駐車場があり、

駐車場のロープで仕切られた柵を外して、

駐車場を横切ると、

忠海小学校に辿り着きました。

忠海小学校は海に続く

松葉賢一兄が通った忠海小学校のすぐ前は、

海岸が広がっています。

向こうには洞窟の中に湧く、

天然温泉があります。

こんな静かな遠浅の綺麗な海で、

ここから向こうの温泉まで、

ゆっくりクロールで泳いで行きたいなぁと思ってしまいます。

松葉賢一兄の遺骨を懐かしい海に向けて、

しばし幼いころの思い出に耽りました。

兄は喜んだと思います。

賀儀城跡(鍵城跡)

忠海小学校の細い道路には、

賀儀城跡(鍵城跡)の掲示板がありました。

標高約20メートルの丘陵上にあり、

沼田小早川氏の一族、浦宗勝の水軍城跡である。

「四方なめら、山峡にして高凡16間、山上は平地、

上の段の広さ 凡500坪、

次の段の広さ凡160坪」(国郡志)に記される。

本丸の下には帯曲輪を設け、

二の丸にあたる曲輪の北端にわずかに土塁が残る。

井戸もあったが現在は埋められている。

今市や末友、 鳥ヶ城などの地名も残っている。(掲示板より)

この辺りは、水軍の基地だったのです。

忠海小学校から、

再び国道158号線を竹原の方向に走っていくと、

海に面したパーキングエリアで

名高い「エデンの海」と言われた、

美しい島が見える展望台がありました。

大久野島

正面の方向には、第二次世界大戦の頃、

毒ガス兵器を作っていたと言われる、

大きな鉄塔が見える、大久野島が見えます。

ここで記念写真です。

私は兄の遺骨を抱いて、

懐かしい忠海の海を背景にして写真に納まりました。

空は晴れて、風は爽やかで、暑くもなく、寒くもない

心地よいお天気です。

忠海(ただのうみ)といえば、池田勇人総理大臣、ウサギの大久野島です。

忠海の住宅地を入ると、対向車が来るのが心配な細道が続きます。 

忠海駅前通過

海岸沿いを走って、三原市から竹原市に入りました。

途中、JR忠海(ただのうみ)駅の前を通ります。

瀬戸内海の見える、

JR呉線(くれせん)に沿った道は道幅が狭く、

景色に見とれてハンドルさばきを誤ると、

対向車と激突する事故が多発しています。

そのため、慣れた私の方がハンドルをとっています。

忠海は平清盛の父の名がつけられた町と言われています。

向こうに見える高い山は、黒滝山です。

忠海の市街地

ちょっと寄り道をしてみます。

忠海の市街地の細い道を分け入って、

友人のお家を探してみます。

このあたりに、ヤシガニ会の会員のお家があります。

忠海の町は京都風のつくりで、

間口が狭く奥が深い、

いわゆるうなぎの寝床のような敷地が特徴です。

まだ戦前のままの家屋が残って、

家と家が密着するようにつながっています。

細い細い道路なので、

対向車が来るとどこでやり過ごすのか考えるだけで

対向車が来ませんようにと、

気持ちの中で祈っています。

空き地があったので、

車を停めさせてもらい、

付近を歩いてみました。

ヤシガニ会の会員のお家を訪ねてみましたが、

朝早いせいか、すれ違う人もなく、

尋ねることもできません。

時計が止まったような感じの、

昔のままの街並みです。

この辺りは、海がすぐそばなので、

あの山に登れば、

瀬戸内海の海が見えそうです。

新しい建物が見つかりました。

近づいてみると、大多和医院です。

大多和医院以外は、

昔の名残を伝える、

黒塀の家が続いています。

広島銀行の忠海支店

この大きな木造建築は、

元の広島銀行の忠海支店だったそうです。

忠海の町を少し寄り道して、

またJR忠海駅に戻り、

そこから竹原市に向かいます。

池田勇人総理大臣の郷里

このあたりの出身で有名な人といえば、

池田勇人(いけだはやと)総理大臣です。

池田勇人さんが作ったと言われる、

海の見える国道を走り続けると、

向こうに見えるのは、

元毒ガスを作っていた、大久野島です。

大久野島には、今たくさんのウサギが生息していて、ウサギ島ともいわれるほど、大人気の島です。

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