戦国の合戦で、討ち死にした英霊をお祀りしています。戦国時代の山名氏と赤松氏が現代の和平をしています。

喧嘩の仲直りならぬ戦国の合戦で、討ち死にした英霊をお祀りしています。戦国時代の山名氏と赤松氏が現代の和平をしています。 有馬温泉から朝来市へドライブ (10)

喧嘩の仲直りならぬ戦国の合戦で、討ち死にした英霊をお祀りしています。戦国時代の山名氏と赤松氏が現代の和平をしています。

竹田城の天守閣を降りて、また車に戻ります。竹田城は、近くに生野銀山を控えているので、生野銀山を支配するには、竹田城を領有することが、現代で言えば、レアメタルを確保するためには、レアメタルの集積地を支配することと同じです。

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新緑に、虎伏山の木々が花を咲かせています。

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駐車場に戻る階段は、これから竹田城の本丸に向かう人と、すれ違う階段です。竹杖を借りて行こうか、それとも竹杖を借りないで登ろうかと、老夫婦が迷っています。それを聞いて、松葉博雄の奥さんは、「これ使って下さい」と、返す寸前の竹杖を渡しました。

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駐車場の奥に、山名氏と赤松氏の両軍陣没諸霊供養の碑が出来ています。読んでみると、およそ400年前まで、応仁の乱から100年以上も、山名氏と赤松氏は敵対して戦闘を繰り返し、その為に亡くなった沢山の人の霊を祀る為に、現代の山名氏と赤松氏が相談して建てた鎮魂の碑です。

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山名氏は応仁の乱で有名、赤松氏は嘉吉の乱で有名で、歴史に名を残しています。山名氏と赤松氏の末裔が、平成2年5月26日に、500年前の嘉吉の乱に始まる、山名氏と赤松氏の両陣の慰霊祭を行い宝塔を建てました。

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駐車場には、小型のバスがあの狭い道を登り切ってきています。もし、下りの途中でこんなバスと遭遇し、どちらかが道を譲らなければ進めなくなったらどうしようかと、悪い予想が湧いてきました。

沢山乗っている車対、二人の車が相まみえると、なんとなく力負けして、バスに道を譲るために、二人乗りの車は、ギリギリまで路肩に寄せるか、対向車をやり過ごすことができる場所までバックで狭い道を登ることになります。

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そのとき、ハンドル操作を誤って、ずるずるっと谷底に落ちていく、そんな目には遭いたくありません。

幸いな事に、祈りが天に通じたのか、下りの道では、対向車と狭い道で、大きなバスと曲がり道で出会う事はありませんでした。

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竹田城を後にすると、次はJR竹田駅です。JR竹田駅は、随分とクラシックな駅を復元しています。駅舎には、わだやま観光案内所が併設されています。

こんな所に案内所があるとは、まず、最初にこの案内所に来れば、次に何処に行けばいいか分かったのにと、順逆になっています。

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受付の女性に、写真を撮ってもいいですか?と許可をもらって、案内所の中を写しました。

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立体的にミニチュアサイズに作った、竹田城のお城の配置を見ると、先ほど歩いた石垣や、矢倉の配置が戦国時代さながらに蘇ってきました。

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竹田城を有名にしたのは、霧に浮かぶ竹田城です。実際に霧に包まれた竹田城の、雲海の写真が飾られていました。

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もし、こんな雲海に浮かぶ竹田城の写真を、自分のカメラで写そうと思ったら、霧が出そうな時季に宿でもとって、朝早くから竹田城の向いの山に登って、霧が晴れるまでのたった僅かの合間にしか、シャッターチャンスはありません。

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そんな事が出来るのも、やはり趣味というか、写真が好きだからこそ竹田城の雲海が撮れるのです。

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JR竹田駅は、無人駅です。少し身を乗り出せば、ホームに出られます。プラットホームに出て、周囲の写真を写してみます。

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向いにはお寺のような、お屋敷のような白壁が見えます。

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車で来なくても、JRを使えば、竹田城のすぐ麓まで、城下町の散歩も出来、ビールも飲めます。ただし、一日の列車の本数は限られています。

2012年5月10日(木)