メガネ1番の宮里孝社長とお会いする約束をしました。約束した時間がまさか宮里孝さんの出棺の時間になろうとは思ってもいませんでした。。
宮里孝社長とお会いする約束をしました。この時間に、沖縄で会う約束をしました。
メガネ1番の宮里孝社長とお会いする約束をしました。
約束しました。この時間を約束しました。
メガネ1番の宮里孝社長とこの日、この時間にお会いする約束をしていました。
突然の訃報が届きました。 沖縄のメガネ1番の社長(宮里孝さん)が、
お仕事の最中に突然倒れ、治療も虚しく急逝されました。
宮里孝社長とは、先日のメニコン60周年記念パーティーでご一緒し、
とてもお元気な様子だったので、訃報が信じられませんでした。
12月8日、神戸空港を出発し沖縄に向かう便で、やはり弔問に伺う、
ジョンソン・エンド・ジョンソン社の森垣忠士さんと梶芳学さんが、偶然同じ便でした。
葬儀場は中部紫雲閣(∞サンレー)で行われます。
那覇からレンタカーを借りて、紫雲閣を探します。
レンタカーのナビが、上手く紫雲閣を案内してくれません。
十分ゆとりを持った時間でしたが、なかなか目的地がはっきりしなかったので、
告別式の時間が近づいてきます。
やっと紫雲閣を見つけ、車を駐車場に入れようとしても、駐車場はいっぱいです。
たくさんの告別式への参列者が続き、駐車場は第二駐車場までもがいっぱいです。
紫雲閣には、たくさんの献花が並んでいます。
さんプラザコンタクトレンズからも、献花しているのですが、
あまりにも多くのお供えの花が並んで、なかなか見つかりません。
弔辞が聞こえて来ます。 宮里孝社長は、メガネ1番を育て、
社員を育て、地域に貢献した事を、弔辞では述べられていました。
思い出すのは、宮里孝さんが、早く孫を抱きたいと言っていたことです。
宮里孝さんの、お嬢様の結婚式には、今年、参列し、お祝いを述べました。
告別式では、ジョンソン・エンド・ジョンソン社のデイビッドR.スミス社長ともお会いしました。
約束した時間がまさか宮里孝さんの出棺の時間になろうとは思ってもいませんでした。。
前回、メニコンの60周年記念パーティーの時に、沖縄訪問の約束をし、
その約束の日時が2011年12月8日(木)16時でした。
まさにその時間は、まさか宮里孝さんの出棺の時間になろうとは思ってもいませんでした。
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく、修行を完成させなさい。』
と、仏陀の最後の教えが、胸に響いてきます。 合掌
2011年12月8日(木)