3.11 東日本大震災 慰霊の日 震災を思い出す日ではなく 未来へとつなげる日でもあります
3.11 東日本大震災から14年 震災を思い出す日ではなく 未来へとつなげる日でもあります
3月11日 東日本大震災 慰霊の日
東日本大震災から14年を迎えまたした。
この日が近づくたびに、
被災された方々のことを思い、
改めて震災の記憶を
風化させてはならないと強く感じます。
私自身、1995年の
阪神淡路大震災を経験しました。
その日、神戸の街は
未曾有の大惨事に見舞われ、
あらゆるものが破壊され、
多くの命が奪われました。
自分の住んでいる街が一瞬で姿を変え、
いつも見慣れた風景が
瓦礫の山と化した光景は、
今でも脳裏に焼き付いています。
震災を生き延びた私たちは、
日々をなんとか過ごしながら、
必死で前を向いて歩んでいきました。
そして、その経験を通じて、
災害が奪うものの大きさと、
復興のために必要な支援の
重要性を学んだのです。
2011年3月11日、
神戸の街も、大きく揺れました。
東北地方を襲った未曾有の地震と
津波をニュースで見たとき、
阪神淡路大震災の記憶が鮮明に蘇りました。
地震によって家屋やビルが倒壊し、
その後の津波で町全体が
飲み込まれていく映像は、
現実とは思えないほどの衝撃でした。
多くの方々が家族を失い、
生活のすべてを奪われた現実に、
胸が締め付けられる思いでした。
震災が発生して間もなく、
何か少しでも力になりたいという思いから、
松葉眼科を通じて東日本大震災の被災地へ
医療機器を寄付することを決めました。
医療機器は、人々の健康を
支えるために不可欠なものであり、
震災直後の混乱した状況の中で、
被災地の医療現場が少しでも
円滑に機能する助けになればと願いました。
阪神淡路大震災の際にも、
多くの方々から支援を
受けた経験があったからこそ、
今度は私たちが支える側に
回るべきだと強く思いました。
(過去ブログ:東日本大震災被災地への復興支援)
震災から3年7ヶ月が経った頃、
メルスプラン加盟店会議の開催幹事役の
大街道もり眼科医院と
大街道コンタクトレンズの視察をし
被災地の一つである
宮城県石巻市を訪れました。
そこで、大街道コンタクトレンズセンターの
森潔英社長から、震災当時の状況と
津波の恐ろしさについて
直接お話を伺いました。
津波はすべてを飲み込み、
町を消し去るように押し寄せたといいます。
震災直後の混乱、避難生活の過酷さ、
そして復興への長い道のりについて
話を聞く中で、復興は決して一朝一夕に
成し遂げられるものでは
ないことを痛感しました。
(過去ブログ:大街道もり眼科医院と大街道コンタクトレンズの視察です)
実際に宮城県石巻市女川町の
被災地を訪れて、
石巻市の大川小学校の
児童が津波の犠牲になった
痛ましい罹災の慰霊に行きました。
石巻市立大川小学校では、
児童・教職員合わせて74名が、
震災の犠牲となりました。
2011年3月11日の、東日本大震災と、
その後の津波で亡くなった方に、
ここに哀悼の意を表し、
慎んでご冥福をお祈り申し上げますと、
ご挨拶を述べて、お花をお供えしました。
(過去ブログ:宮城県石巻市女川町の被災地)
阪神淡路大震災から
約30年が経ちましたが、
未だに震災の爪痕が残る場所もあります。
それと同じように、
東日本大震災の被災地も、
表面的には復興が進んでいるように見えても、
人々の心の中には深い傷が残り続けています。
特に津波による被害は甚大で、
失われた街並みや
家族との思い出を取り戻すことはできません。
震災の記憶を風化させないことは、
私たちにできる大切なことの
ひとつだと思っています。
私たちは震災を過去の出来事として
忘れてしまってはならず、
これからの未来に向けて
教訓を生かしていかなければなりません。
そして、被災された方々が今もなお
復興の途中であることを理解し、
引き続き支援の手を
差し伸べることが重要です。
阪神淡路大震災を経験した者として、
そして同じ日本に生きる者として、
東日本大震災の被災地と
人々の歩みをこれからも見守り、
支えていきたいと願っています。