石巻の大川小学校の慰霊碑を訪れ、献花しました。

大川小学校の慰霊碑 宮城県石巻市女川町の被災地を、訪れています。大川小学校では津波の犠牲者に、哀悼の意を表しました。 東日本へ出張(9)

大川小学校の慰霊碑

石巻グランドホテルの朝です。

今日の予定は、石巻市の大川小学校の児童が津波の犠牲になった痛ましい罹災の慰霊に行きます。

ホテルの朝ご飯は、1階ロビー横で、和食のバイキングです。

頂いたのは、笹かまぼこ、シャケ、切り干し大根の煮つけと、冷奴、海苔、味噌汁、白ごはんです。

勉強会のメンバーと一緒に、「石巻周辺の被災地をめぐる」バスツアーを、大街道コンタクトレ

ンズの森潔英社長が用意してくれました。

スケジュールでは、石巻グランドホテルから出発して、

石巻専修大学(災害対策本部)、開成仮設住宅を通ります。

バスは停車しませんが、バスから、日本赤十字石巻病院(救難救急本部)を見ました。

訪れたのは、石巻市立大川小学校(児童教師74名犠牲)です。

震災と津波の、二つの災害なので、復興の工事は、治水工事が入っています。

北上川の両岸では、重機を使った土木工事が続いています。

堤防を利用した道路を、マイクロバスで走っています。

行き交う車は、工事用の車両がほとんどです。

33号線を、左方向へ行けば気仙沼・桃生、右方向は雄勝町・北上です。

これまで、自然な河を、石を積んで、護岸工事をしているので、

きっと生物体系は大きく変わると思います。

蛍や、川魚などは、多分棲家を失うのではないかと思います。

2011年3月11日の東日本大震災と、その後の大津波の報道で、

大川小学校の映像を見たことがありました。

あの恐ろしい津波の被害を受けた大川小学校に来ているのかと思うと、

胸が詰まります。

石巻市立大川小学校

児童・教職員合わせて74名が、震災の犠牲となりました。

大川小学校被災児童鎮魂供養塔が、

校門の学校名の書かれた石塀の前に作られています。

供養塔は、今でも鉢植えの花で囲まれています。

コンタクトレンズの勉強会に参加した有志一同を代表して、

松葉博雄が、献花をしました。

風があり、お線香に火を点す準備が、なかなか進まなく、

お線香の火が点くまで、しばし待っています。

前の、2011年3月11日の、東日本大震災と、

その後の津波で亡くなった方に、ここに哀悼の意を表し、

慎んでご冥福をお祈り申し上げますと、

ご挨拶を述べて、お花をお供えしました。

大川小学校での避難の誘導が、不適切であったと、

父兄の方から訴えも出ているそうです。

予想もしなかった大津波の中で、奇跡的に命を守れた児童も、いたそうです。

もう少し、奥に進んで、当時のまま保存されている、

大川小学校の校舎の方に進んでみます。

大川小学校のすぐ裏には小さな山があり、山には木が沢山茂っています。

大川小学校の悲劇 裏山に避難してたら

後から考えれば、この山に児童達が登って逃げていれば、

津波にさらわれることがなかったそうです。

地震から、津波が来るまで、およそ50分あったそうですが、この50分の間

の判断が、大きな被害を招いています。

大川小学校の後ろの山のそばに、慰霊碑が作られています。

この慰霊碑には、大川小学校の児童だけでなく、

この付近の町民の犠牲者も、名前が刻まれていました。

幼い子供を持つ親の身になれば、

悔やんでも悔やみきれない結果になってしまいました。

今日の女川町の空は、雲が薄く垂れ込め、

ゆるやかな風が吹いて、やや北国の雰囲気があります。

大川小学校の前には、広い道路があり、道路には復興のための、

作業用の車が、絶え間なく行き来していました。

大川小学校のすぐ前には、北上川の河が流れています。

この辺りは、河口に近く、川幅も広くなっています。

大川小学校の近くの新北上大橋です。

この新北上大橋は、津波のために、橋の半分が壊滅したそうです。

橋のたもとには、犠牲者への慰霊碑と、観音様の像が建てられていました。

橋の周辺は、復興工事に励む作業車が、絶え間なく行き来しています。

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2014年10月23日(木)