阪神淡路大震災 1.17のつどいへ 罹災経験も 復興の感謝も忘れずに

投稿No:9771

阪神淡路大震災 1.17のつどいへ 震災も 感謝も忘れずに

阪神淡路大震災1.17のつどい へ行ってきました

毎年、追悼の催しが行われています。

今年、2024年1月1日には、

石川県の能登半島で

最大震度7の揺れを観測する地震が起きました。

建物の倒壊や津波の被害などが確認されています。

心よりお見舞い申し上げます。

阪神淡路大震災の記憶とともに、

手を合わせ祈ってきました。

今年の1.17のつどいは、

1月1日の能登半島地震被災者への

追悼の意も込められたものとなっています。

今年のテーマは『ともに』です。

今年も15日からボランティアを中心に準備が進められ

「1995」「ともに」「1.17」という文字になるように

竹灯籠や紙灯籠が並べられた。

「ともに」という言葉は公募で選ばれており、

能登半島地震の被災者への

思いも込められているという。

【出典:Yahoo!ニュース

竹灯籠には、皆さんの様々な思いが

書かれているものもありました。

各メディアも撮影に訪れていました

毎年この日は報道陣がやってきます。

震災を風化させないためにも、

次世代に伝えていかなくてはなりません。

一年ごとに、1995年1月17日は遠くなっています。

戦争を知らない子ども達が増えたように、

阪神淡路大震災を知らない子ども達も増えてきています。

このまま、歳月が経過すると、

震災の記憶が薄れていくことに、

危機感が湧いています。

神戸市の市民の、およそ半数近くの人たちが、

震災の後に生まれてきた人たちだそうです。

震災の記憶が薄れていく危機感から、

継承への運動が強まっています。

同会場では、1月19日に4年ぶりの開催となる

神戸ルミナリエの準備もされています。

阪神・淡路大震災の記憶を

後世に語り継ぐとともに、

神戸の希望を象徴する催しです。

以前までは12月に開催していましたが、

今年からは震災の日に近くなり、

より一層、震災追悼の意が強まりました。

 

何もなく平穏に終わる1日、1ヶ月、1年を、

感謝する気持ちで過ごしていきます。

震災復興に尽力してくださった主任に感謝状

何事にも感謝していかなくてはなりません。

震災当時から尽力してくださった

田野主任に感謝状と記念品を贈りました。

     感謝状

995年1月17日の阪神淡路大震災の

復興に際し、わずか1日で移転作業を

終えました。貴殿の支援と献身的な

努力に対し、心から感謝を申し上げます。

ここに感謝の気持ちを込めて、

記念品を贈呈させていただきます。

                

 

そして今日まで

一緒に戦い抜いてくれた

スタッフの皆さんへ、感謝の気持ちを込めて

『播磨屋本店』朝日あげを用意しました。

感謝の気持ちを伝えるには、

何が良いか考えました。

持って帰るのには軽くて、食べてみたら美味しくて、

眺めてみると感謝の言葉が書いてあるような、

そんな返礼を考え、

思い付いたのが

『播磨屋(はりまや)』のおかきです。

様々な種類のおかきが売られている中から、

今回は一番人気商品の朝日あげにしました。

「日本一おかき処」播磨屋本店

銘菓「はりま焼」、「朝日あげ」を筆頭に、

皇室や赤穂藩に献上されてきた

銘菓の数々を販売しています。

様々な「おかき」を生み出している

日本を代表する、おかき処です。

震災の日

1995年1月17日に

阪神淡路大震災が起きました

震災と復興を忘れる事なく

防災に努めたいと思っています

震災の日に播磨屋のおせんべいを

用意しました。

2024年1月17日

社長 松葉博雄

罹災体験記録

一部紹介していきます。

三宮の店舗の被害

朝9時頃、奥さんと一緒に車で三宮に向かいました。

車で三宮に行くことは、

あとから考えれば無謀なことなのですが、

あの時は情報がなく、何が起きているのかも

わからないままハンドルを握りました。

岡本を出て三宮に向かう途中、

2号線を走っている時に、神戸製鋼本社のある

脇浜の岩屋交差点辺りでは高架道路が倒れ、

巨大な壁のように道を塞いでいました。

高架道路が倒れて立ち塞がっているとは

思ってもみなかったので、

この壁は何の壁かわかりませんでした。

車が走っていない路面には、

荷台から転がり落ちたミカンが散らばっていました。

灘区の国道沿いでは火災が発生し、

炎と煙の中を車はくぐり抜けました。

詳しくはこちらをご覧ください。

阪神淡路大震災 ページまとめ

阪神淡路大震災1日目 ~

阪神淡路大震災体験記 ダイジェスト

東灘区で、ジェットコースターのような揺れを感じ、

すぐに、三宮に駆けつけて、

地震後のさんプラザビルが大打撃を受けた、

あの日の驚きが、今も頭に蘇って来ます。

大きな被害を受けたもものの、

命に関わる被災もなく、

今日まで過ごせたのも、皆さんのおかげです。

震災後の復興の大変な時期を乗り越え、

こうして今、同じ場所でお客様を

お迎えし続けていられることには、

深い感慨があります。

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