阪神淡路大震災  何が禍、福をもたらすかは 結果でしか分かりません【社長経営学】シリーズ31

投稿No:9757

やがて来る来る 春が来る【社長経営学】シリーズ31

←「社長経営学30 不毛の販売競争 メニコン田中恭一社長へ抗議」

震災・被害から

崩壊したさんプラザビル

立ち直る過程では、

競争相手との戦いにばかり

目を向けていたわけではありません。

店舗改装や社員教育で

顧客サービスの充実を図り、

増資で自らの店を強くすることにも努めました。

震災後の8か月のころに戻ってみます。

95年9月10日、

神戸市の震災復興活動のおかげで、

さんプラザ、センタープラザ、

センタープラザ西館の3階は応急修復を終え、

合同グランドオープンの日を迎えました。

待ちに待った、さんプラザビルの店に

戻ることができました。

震災直後の

灯りの消えた寒い街を

トボトボと歩いているとき、

自然と口ずさんでいた歌は、幼いころ

満州から引き揚げてきた伯母から聞いた

異国の丘』でした。

「我慢だ、待ってっろ、嵐が過ぎりゃ、

やがて来る、来る、春が来る」の

フレーズが好きでした。待ちに待った、

その春が来たような弾んだ気持ちでした。

グランドオープンを機に

店舗は広がって行きました。

さんプラザビル3階北側は

医療機関を集めた医療コーナーでした。

震災後、眼科に隣接する

耳鼻咽喉科と歯科は別の場所に移り、

医療コーナーには復帰しませんでした。

耳鼻咽喉科医院と、

歯科医院の店舗が空いたのです。

眼科と我が社は震災で被災しましたが、

「禍転じて福となす」の格言通りに

拡張のチャンスと捉えて、

すぐに家主さんに賃貸の申し込みをしました。

2か月におよぶ交渉の末、

11月1日付けで、空き店舗40坪を

眼科と店舗で借りる契約ができました。

眼科との壁を取り払うと

新しく80坪弱の一つの部屋になりました。

この敷金と家賃、

さらに工事費用も大きな負担でしたが、

店舗と医院を広げるチャンスだったので、

思い切って拡張策を採りました。

震災のわずか2か月前に、

我が社は隣接する店舗25坪を

1億5千万円で買収したばかりでした。

売った相手はラッキー、

買った私はアン・ラッキーでした。

三ノ宮の景色

眼科も賃貸を買い取って、

自己所有にしたばかりでした。

人生万事塞翁が馬、何が災いして、

何が福をもたらすかは、結果でしか分かりません。

「社長経営学32」→

社長経営学 関連記事 アーカイブ