沖永良部島は西郷隆盛のゆかりの地 薩摩藩の重罪人として 沖永良部島に流刑の歴史

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沖永良部島は西郷隆盛のゆかりの地 薩摩藩の重罪人として 沖永良部島に流刑

沖永良部島は、西郷隆盛の

ゆかりの地でもあります。

2018年に放送されたNHK大河ドラマ、

西郷どん」の撮影地として使われた場所もあります。

せっかくなので、沖永良部島の西郷隆盛

ゆかりの地を巡ってきました。

西郷隆盛とは

幕末期の薩摩藩の武士です。

約700年も続いたサムライの時代を終わらせ、

日本の近代化を成し遂げた鹿児島出身の偉人です。

故郷鹿児島の盟友・大久保利通と共に

薩摩藩をリードして王政復古を実現させ、

徳川幕府を倒し、明治政府の成立に大きな貢献をしました。

幕末維新を象徴する人物として広く知られています。

(参考:幕末トラベラーズ

西郷隆盛は島津久光公の怒りにふれ、

薩摩藩の重罪人として沖永良部島に流刑となり

1862年8月から1864年2月までの1年6ヵ月あまりの

過酷な牢生活を送ったそうです。

NHK大河ドラマ「西郷どん」は

2018年に放送されたNHK大河ドラマです。

そのドラマの撮影が沖永良部島で行われたました

その撮影地が、シニキニャの浜です。

正名海岸と言うそうです。

シニキニャの浜は、とても綺麗な浜でした。

長い年月をかけて波風に侵食された岩が

両側にそびえ立ち、その岩に挟まれた

こじんまりとした浜です。

人がいなかったので

とても静かで、波の音がよく聞こえます。

海に沈んだ岩礁が透けて見え

水の透明さが分かります。

西郷どんの撮影では

この場所が使われていましたが、

実際に西郷隆盛が上陸した地は、ここではありません。

とても綺麗で感動しました。

波の浸食によってくりぬかれた洞窟のような

穴がある岩も迫力がありました。

西郷隆盛上陸の地

ドラマではなく、歴史上、実際に西郷隆盛が

上陸したという場所へ行ってみました。

現在では整備されていますが、

当時はきっと浜だったのだと思います。

上陸の地には、地碑が立っていました。

流罪となった西郷隆盛は

この地へ上陸しましたが、沖永良部島には

西郷隆盛を囲う牢屋がなかったため、

牢が出来るまでの2日間は、

船牢で過ごしたそうです。

そして、ここから島の反対側の

投獄される場所まで歩いて行ったそうです。

その後、わずか4畳ほどの野ざらしの

小さな牢に閉じ込められ、

劣悪な環境で過ごしました。

それを救ったのが島役人で、西郷のために

座敷牢を建設し、家族で面倒を見たそうです。

そして島の人に支えられ、交流を深める間に

敬天愛人の精神を完成したと言われています。

精神的な苦悩と、反省の日々を送る西郷は

内省的になり、より深い人間性を持つ人間として、

変貌をとげていったそうです。

南洲神社

西郷隆盛が祀られている、南洲神社へ

足を運びました。

南洲神社は西郷隆盛を偲ぶため明治35年に建立され、

敷地内には、西郷隆盛と愛犬のツンの銅像があります。

西郷隆盛は牢の中で、常に正座して、読書にふけ、

少年たちを集めて古今聖賢を談し、

また凶年に備えて、島民たちに社倉法を教え、

島民たちのことを考えていたといいます。

このように、沖永良部島は

西郷隆盛のゆかりのある土地で、

島のあちこちに関連史跡があります。

西郷隆盛は島の人たちに

尊敬されていたことがよく分かりました。

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