震災による、心因性の糖尿病の診断 食事制限です 阪神淡路大震災後92日目~98日目(№33)
大震災の復興活動で、ついに心因性の糖尿病の診断が下りました。阪神淡路大震災後92日目~98日目(№33)大震災では、被害の程度に格差があります。軽傷の競争企業は、重傷の競争企業に対して、執拗に攻撃をしかけています。
神戸の市場でメニコン製品を愛用する顧客に対して、
どのように支援を行うのかについて、
メニコンの菱田所長とお話をしました。
支援広告について意見の交換です。
「篠山の桜」 |
震災後、兵庫県と神戸市の
メニコン製品を愛用する顧客は、レンズの取替えや、
紛失、ケア用品の入手など、
販売ルートが震災により復旧していないために、
メニコン製品をできるだけ無料に近く、
できたら無料で支援して欲しい状況にあります。
我が社としても、
メニコン社が支援物資を我が社に支給していただければ、
メニコン社に代わって
顧客の皆様にレンズやケア用品の無料配布をしたいと
願っています。
そのためには、メニコン社が
さんプラザコンタクトレンズを支援窓口として、
共同歩調をとっていただくことと、
さらに、支援活動を行うという広告活動を
神戸市民に向けて活発にやってもらいたいのです。
「篠山城敷地から 桜」 |
今、市場が壊滅的な状況になり、
そこで立ち上がった流通を担う眼科・販売店があれば、
そこに資源を投入し、
メニコン製品の愛用顧客に支援を行いたいはずです。
そこで、サービスを我が社が代わりにしたいという意見に対し、
メニコン社内ではかなり意見が交錯し、
はっきりとした決断が出来かねているようです。
我が社がメニコン社に代わって、サービスを代行すれば、
それなりの成果はすぐに上がりますが、
市場が平穏に回復したとき、
閉鎖中の取引先から、
「あの時、なぜ、さんプラザコンタクトレンズばかりを優遇したのだ!?」
と批判されると困るようです。
結局のところ、様子を見るという
日和見的なマーケティング政策になってしまいそうです。
阪神淡路大震災92日目:1995年4月18日(火)
横浜で電車内の有毒ガスの事件が発生しました。
オウム真理教の麻原彰晃の行方はわかりません。
テレビでは連日このオウム真理教のニュースが続いています。
このオウム事件で、すっかり神戸の震災のことは、
地方の出来事になってしまっています。
これが首都の近くで起きた災害であれば、
テレビ中継車も出て、取材競争があり、
連日ここが不足しているとか、
ここをなんとかしなければと、
テレビ局やマスコミが行政をつついてくれ、
復興がマスコミの力で進むかもしれませんが、
もうそういうわけにもいかないようです。
阪神淡路大震災93日目:1995年4月19日(水)
「桜 自宅よりの眺め」 |
私の体調の衰弱が問題となり、
家族からも不安の声があるので、放ってはおけず、
これまでの内科とは違う糖尿病専門の内科へ行ってみました。
この糖尿病専門内科は、灘区にあり、
週刊誌にも専門誌にも日本の糖尿病の名医として
紹介されている先生です。
早くから行き、順番をとり、じーっと待って、
診察の順番が回ってくるのを待ちました。
検査は血液採取をして、血糖値を検査しました。
結果は速報値ではやはり
糖尿病の疑いありということになり、
食事指導を受けることになりました。
私としては、こんなに体が衰弱していく中で、
食事制限を受けることになるので、
対処法に疑問を感じました。
しかし、専門医の先生の判断には逆らえず、
食べる物の制限が始まりそうです。
なにしろ、生まれつきの甘いもの嫌いで、
ケーキ、お饅頭、羊羹、お菓子などは
この数年間口にしたこともなく、
それがなんで糖尿病なのか、
全く納得できませんでした。
目下のところ、インシュリンの注射をするほどまでではなくて、
食事制限から治療は始まることになりました。
激しく働いて、食べないと体が衰弱するのに
即時制限をするという診断には
納得できな気持ちですが、
奥さんも専門医の指導に従うことになりました。
会社の復興に全力を注いでいる中で、
いつの間にか、震災の罹災証明の発行が
明日打ち切られるという日にちになってしまいました。
私生活のことは後回しになっていましたが、
罹災証明をいただいていたほうが
その後の手続きに必要なことが起きると思い、
締め切り間近になったので、
東灘区役所へ行き、自宅用の「り災証明書」を頂きました。
我が家の、り災判定は、全壊より軽微な「半壊」でした。
「り災証明書」 |
家全体が大きく、激しく、
縦横に揺れたことにより、
多くの家具や生活用品が
使い物にならないようなダメージを受けました。
これを被害の状況として、届けるわけですが、
一つ一つを書くわけにもいかず、
書いたところで補償や代替品をいただけるわけでもないので、
結局のところ、「生活用品一式」といった表現になります。
全壊の場合は、出入りが禁止されます。
そして、取り壊しも検討されます。
半壊の場合は、出入りは注意して使用することになります。
半壊と全壊の判定では、
その後の私生活は大きな違いが出てきます。
神戸市では、震災後、専門家がチームを組んで、
1軒1軒を点検して周り、
全ての罹災家屋について判定をおこなっています。
この作業も大変だったと思います。
「り災者のみなさまへ お知らせ」 |
区役所に行ったあと、お昼から篠山にお花見に行きました。
篠山では桜が満開です。
とても美しい桜を見ることができました。
神戸のお花見より一週間ほどは遅く咲きます。
六甲トンネルを通り抜けると、
震災の被害は裏と表ほど違いが出ています。
「篠山でお花見」 |
六甲山の強い岩盤に支えられ、
北区の方は、家屋の倒壊や、ライフラインの破損
といった震災の直接の影響は軽微で、
日常生活にも大きな影響は出ていません。
しかし、交通機関については、
神戸電鉄、北神急行、市営バスなどが
三宮への乗り入れを止めているので、
この点については影響が出ています。
普段の生活には影響は無いのですが、
通勤や通学に大変困っている状況です。
しばし、桜の下で花見を楽しみ、
ビールを飲んで春の爛漫を奥さんと鑑賞しました。
阪神淡路大震災94日目:1995年4月20日(木)
今日で、神戸市によるり
災証明書の発行が打ち切りとなりました。
阪神淡路大震災95日目:1995年4月21日(金)
「篠山城から 桜」 |
阪神淡路大震災97日目:1995年4月23日(日)
明日は父の命日です。震災のために、
満足の行く供養もできないまま、
せめてお花だけでもお供えしようと、
蘭の花を買ってきました。
「蘭の花」 |
つい最近まで、このお供えのための
花さえも買うことができませんでした。
4月になって少しずつ生活が安定したことが、
このような供養をすることにも
表れてきています。
阪神淡路大震災98日目:1995年4月24日(月)
父の命日です。昨日買った蘭の花をお供えをしました。
もし、父や母が病床に臥せっていて、
身動きも出来ない状態で、今回の震災があったら、
いったいどんなになっていたのだろうかと、
あらためて病人を看病している
お家の方のご苦労を考えてしまいました。
センター街の眼鏡店の社長がやってきました。
「近隣のメガネ・コンタクトレンズ店の広告」 |
近隣のビジョンメガネ・コンタクトレンズ店の
広告が目に余るので、
商店街としては抗議をしているそうです。
「近隣のメガネ・コンタクトレンズ店の広告」 |
旗やチラシやビラを無秩序にセンター街に貼るので、
美観的に注意する必要があるので
一緒に何かやってほしいという要請がありました。
「近隣のメガネ・コンタクトレンズ店の広告」 |
確かに、その通りで、
通路や壁、公共スペースに遠慮なく貼っている様子が、
商店街の役員の方には、不快に映ったのでしょう。
「近隣のメガネ・コンタクトレンズ店の広告」 |
オウムの村井秀夫、刺されて死にました。