敬老の日 私も歳をとってしまいました I’m getting on in years. 2021年9月20日は敬老の日です。プレゼントも嬉しいですが、天倫の楽事を楽しみたいです 人生は有限であり、有限の時間のなかで、 自分が幸せに浸れる時間を作れなければ、 小さな幸せには浸れません。

投稿No:9120

プレゼントも嬉しいですが、親族と顔を合わせて楽しみたいです 人生は有限であり、有限の時間のなかで、自分が幸せに浸れる時間を作れなければ、小さな幸せには浸れません2021年9月20日 敬老の日 

敬老の日 

 
敬老の日が近づくと、お薦めプレゼントの記事が
 
検索上位に上がってきます。
 
人気のランキングと言えば、
 
和菓子スイーツ、
 
敬老の日定番人気のプレゼントです。
 

特別感のあるプレゼントなら、

名入れギフトがおすすめのようです。

お祝いのプレゼントといえば、

お花が上位に上がっています。

 
敬老のお祝いに、お花をプレゼントされると、
 
嬉しく思います。
 
人生の終わりが近づくと思えば、寂しくもあります。
 

モノより、天倫の楽事を望みます

天倫の楽事とは、家族が一緒に集まって、

外での食事会、家での食事会、旅行、ドライブなど
 
祝い事をすることです。
 
長寿を祝って貰うなら天倫の楽事を望みますが、
 
今のコロナ禍では、叶いません。
 

敬老の日の始まり 多可町が発祥の地 としよりの日

敬老の日のはじまりは、

1947年に兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)で、

9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが

「敬老の日」の始まりとなったそうです。

敬老会の主旨は「老人を大切にし、

お年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」です。

9月15日になったのは、農閑期であり、

気候も良い9月中旬の15日に村人が集まり、

敬老会を行っていたそうです。

この小さな村の行事がだんだんと広まり、

1951年には中央社会福祉審議会が9月15日を

「としよりの日」と制定しました。

お年寄りを大切に敬う心が「敬老の日」の

起源となっているようです。

敬老は55歳から 65歳に延長されてきています

多可町から始まった「としよりの日」は、

当時は55歳以上の人が対象でした。

定年も、以前は55歳でした。

平均寿命が延びりと、定年は60歳、

65歳と延長されてきました。

定年が延長されると、敬老の対象も、

年齢が上がって来ています。

現在では、65歳以上が敬老の対象です

老人福祉法によると、老人の定義は65歳以上です。

国連の世界保健機関(WHO)でも、

65歳以上を高齢者と呼んでいます。

出典 ウィキペディア

敬老の日に 私が感じる小さな幸せ

歳を重ねると、幸せを感じるのは、若い時と違ってきます。

今の年代で幸せを感じるのは、

身の回りのことがらに触れても、

心が穏やかで、動揺せず、憂いがなく、

汚れを離れ、心が安穏である、このような時です。

具体的には、世俗の利得を離れ、

自分の世界に浸っている時です。

敬老の日に思うこと 小さな幸せは 人生のステージ毎に変わる

敬老の日に 人生を振り返ってみると

自分自身の人生のステージでは、

年代と共に小さな幸せの感じ方が変わってきました。

家庭を持って、子供を授かり、

子育ての時代は、家族で一緒に過ごす時間の中に、

小さな幸せが何度もありました。

子供が生まれて、ハイハイして、

歩行が始まり、おしゃべりができるようになって、

離乳食が始まり、美味しいものを一緒に食べて、

喜ぶ笑顔を見たとき、

一つ一つの時間が小さな幸せの連続でした。

子供たちの親として、

子供たちの喜ぶ顔に触れたとき、

教育の成果が表れた時、子供たちが褒められたり、

努力をして希望が叶った時などです。

生活を支える収入を得るために、

仕事に精を注いできた時代には、

仕事が上手くいったときに、

幸せを感じてきました。

夫婦二人だけの生活に戻ったので、

敬老のお祝いは、二人だけでしています。

秋を味わうために、奥さんに松茸ごはんを作ってもらい、

小さいステーキ肉を奥さんと二人で焼いて頂きました。

これも、コロナ禍のために二人だけの祝いになったのです。

人生のステージを通して 変わらない 小さな幸せ

人生のステージが変わってても、

変わらない小さな幸せもあります。

花を愛でる、園芸をする、

ペットと遊ぶといった趣味で癒されている時です。

趣味に浸る時間を作れたら、

小さな幸せが得られるのです。

自分だけの幸せを感じるのは、

世俗のことに左右されないことで、

幸福に包まれているからです。

敬老の 幸せを感じる

平穏に、健康的な長寿を迎えられたことは

生んで、育ててくれた両親・家族へ感謝です。

ただ、長生きできたことだけがめでたいのではなくて

これまで、生かされたことがめでたいのです。

どれだけの周りの人に、

お世話になったことでしょうか?

幸せに浸る時間をつくる 幸せに触れる時間を増やす

小さな幸せは、自分の時間が取れることと、

深く関わっているようです。

なんたって、時間が無ければ、

自分の幸せに浸れる時間が無ければ、

答えは時間を作ることになってきます。

でも、生きるため、家族を養うため、

一緒に働いているひとたちのため、

社会貢献のためなど、それぞれの為には、

思う様に自分だけの時間は作れていませんでした。

それが、しがらみです。

家庭生活、仕事、社会生活などの中から

歳をとってくると、自分だけの幸せを感じられる時間を確保でき、

小さな幸せにつながりそうです。

自分に時間を作ることには、

あまたの障害がありました。

人との付き合いは、自分の時間を割くことが多くあります。

義理が絡むお付き合い、飲み会で、

時間が惜しいと思えるようなお付き合いは、

判断基準をしっかりと決める必要があります。

幸せに浸る時間を作る 生産的な活動

趣味や癒しの時間と並んで

自分自身の成長過程や生産的な活動に関わるときも

小さな幸せがありました。

大学院に入学して、修士課程から博士課程へと進み、

自分自身の研究テーマを見つけて、

研究に没頭していた時は、小さな幸せでした。

考えをブログに書くことも、

知的な生産で、小さな幸せです。

これらは、自分自身に自分の時間を作れた結果でした。

有限の時間の中で、自分の幸せのための 時間を作る 

敬老のお祝いを受ける年代になると、

人生は有限であり、有限の時間のなかで、

自分が幸せに浸れる時間を作れなければ、

小さな幸せには浸れません。

時間が出来たから、自分の幸せに浸れたのか、

自分の幸せに浸るために自分の時間をつくるのか、それは自明の理です。

このように、奥さんと話しながら夕食は終わりました。

敬老の日 まとめ

歳をとって、振り返ってみると、小さな幸せとは、

何気ない普段の生活の中にありそうです。

普段の生活を送るには、

その糧を得るための、

生きるための生活に関わることになります。

生きるために生活するのか、

幸せになるために生活するのか、

命題は変わってきます。

二つを同時に止揚することは難しくても、

時間をずらせば止揚できるのではないかと思いました。

敬老の日 関連記事 アーカイブ

2020年9月21日(月)