会社設立してから49周年 さんプラザコンタクトレンズ設立記念日のお祝い メニコン、シードから 胡蝶蘭

投稿No:8828

会社設立してから49周年 毎年いただくお祝い 設立記念日のお花

会社設立してから49周年 

1971年12月1日に法人登記をして、早くも49年経過です。

当時、取引先のかたは、

ほとんどが私より年長の方ばかりでした。

49年の途中、色々ありました。

思い返しても、よく続いたものです。

最大の危機は、1995年1月17日の阪神淡路大震災でした。

49年よく続いたものです メニコン ボシュロムとの取引履歴

取引先は、メニコンとボシュロムから始まりました。

ボシュロムの日本法人の初代社長は、

神戸出身の鳥越浩さんでした。

ボシュロムも、日本法人がスタートしたばかりでした。

時代は、ハードレンズからソフトレンズへの過渡期でした。

49年よく続いたものです メニコンのハードレンズ開発

メニコンは、社名を東洋コンタクトレンズから、メニコンに変えて

ソフトレンズの開発に取り組んでいたころです。

ソフトレンズへの移行は、漸進的な移行速度で、

コンタクトレンズの主流は、

まだまだハードレンズが続いていました。

ハードコンタクトレンズの素材は、

酸素を透過しないプラスチックで

長時間使用すると、酸素欠乏のため充血し、

血管新生を起こす例もありました。

そこで、メニコンは

酸素透過性のハードレンズの開発に力を入れていました。

研究成果として、O2 O2-32 Zなどの

酸素透過性レンズが誕生しました。

よく続いたものです ソフトレンズの新製品開発

ソフトレンズのケアは、

細菌の滅菌のために消毒が必要でしたが

当時、厚生省は熱消毒しか認可しませんでした。

涙液から分泌されるたんぱく質が

ソフトレンズに附着することも問題でした。

ソフトレンズの使用後のケアは、

煮沸消毒とタンパク質除去の

2つをしなければならなかったのです。

就眠前に、レンズを洗って、煮沸消毒をして、

一週間に一度タンパク除去をするのは、

ユーザーには大変な負担でした。

そこで、淡白除去と熱消毒を一緒にする案が出来ました。

しかし、結果は無残ににも、淡白に熱を加えると、淡白熱変性を熾し

ソフトレンズは、するめを炙ったように、

丸くカールしてしまったのです。

これには、販売した会社も困ってしまいました。

こんな状況ではmソフトレンズは

寿命が1年程度しか持ちませんでした。

この状況が一変したには、使い捨てレンズの登場と、

厚生省の液体消毒の使用認可でした。

今では、考えられないような

ソフトレンズの開発の歴史があったのです。

設立記念日のお祝いにメニコン、シードから 胡蝶蘭

今年も、メニコンとSEEDからお祝いのお花を頂戴しました。

立派な胡蝶蘭です。

胡蝶蘭は私と奥さんの大好きな花です。

こうして立派な胡蝶蘭の鉢が並ぶと、

事務所がとても華やかな雰囲気に

包まれます。

12月1日は事務所のスタッフみんなで愛で、

翌日からはお客様にも

見て楽しんでいただけるよう、

店舗と眼科に置かせてもらうことにしました。

よく続いたものです メニコン メルスプラン

メニコンが、田中英成社長の決断で、

定額会員制メルスプランを始めたのは2001年からでした。

これまでのレンズの販売から、サービスを販売する仕組みなので

ユーザーへの仕組みの浸透には時間がかかっています。

辛抱強く20年も、よく続いたものです。

わが社も初めから、メルスプランの加盟店に参加しました。

メルスプランの会員数を経営基盤の範囲まで増やすのは、

まるで、死の谷を越えるような辛抱が必要でした。

1件当たりの販売利益に比べ、

会員制の手数料収入はけた違いに少ないからです。

会員数が1万人を突破した時は、田中英成社長とともに祝賀会をしました。

田中英成社長・松葉博雄、両社社長の記念撮影

目新しいサービスやキャンペーンなどで

お客様に興味を持っていただくところから、

実際に足を運んでいただいて、

満足してお帰りいただく、この繰り返しですが、

根底にある、顧客満足を如何に創り出して継続していくか、

という思いと努力は変わりません。

メルスプランもお客様の眼の安全と

正しいコンタクトレンズの使用をしていただく、

ということに基づいています。

よく続いたものです シード(SEED)浦壁昌広社長の努力

浦壁昌広さんが、

社長に就任してシードの業績は伸長しています。

浦壁社長の行動力は、よく続くものです。

今年はコロナの所為で、海外出張は制限されていますが

これまでは、休む間もないほどの行動力です。

社長が活発に行動すれば、社員もじっとはできません。

シード(SEED)との取引も長きにわたっています。

長年変わらず担当してくれている営業の中野隆一さんをはじめ、

下田和磨所長や森久保賢汰さんにお世話になっています。

11月末の支払日には、

療養から復帰された中野さんとまたお会いできたことも

嬉しいことのひとつでした。

設立50周年に向けて

長く続く企業の社長が、

その経験から伝えることにはいくつか共通点があります。

その最たるものが「目の前のことをひたすら

一生懸命にやっていたら、ここまで来た」

というものだと思います。

私にも、我が社にも、これは大いに当てはまります。

これからも、そうやってお客様の支持を得られるよう、

やっていけたらいいと思います。

お客様を始め多くの方に祝って頂き、

とても嬉しく有難く思うとともに、

やはり設立記念のこの日はさまざまなことが思い返され、

感慨深い1日となりました。

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2020年12月1日(火)3232