親の代から、子供の代へ、そして孫の代まで、恩納村前兼久にご縁が出来て早30年、このご縁が子供の代、孫の代まで続くようにと乾杯しました。

投稿No:7926

親の代から、子供の代へ、そして孫の代まで、恩納村前兼久の金城家の皆さんとのご縁を続けるには、沖縄に来るための休暇が必要です。医師をしている子供達にはなかなかまとまった休みが取れません。 第168回沖縄訪問(14)

 金城正浩さん夫妻と金城正則さん夫妻に声をかけて、ご一緒に飲み会と食事会をしました。

場所はホテルの最上階にある居酒屋です。

前兼久の国道58号線沿いには、ムーンビーチホテルを中心にして、沢山の飲食店が並んでいます。

私が前兼久に初めて訪れた頃は、飲食店と言えば大和食堂くらいでした。

大和食堂では食堂のおばちゃんが沖縄の家庭料理を安い値段で食べさせてくれていました。

今の前兼久は観光客相手の飲食街になり、経営者はほとんど内地から来た人たちです。

前兼久の住民の皆さんはあまり新しい飲食店を利用していません。

理由は値段が高いからです。

その点今日のホテルの居酒屋は、地元の人達も利用するほどの低価格です。

金城正則さんはこの居酒屋にボトルキープをしていて、相当なヘビーユーザーです。

金城正則さんのお兄さんの金城正浩さんは、パッションフルーツやアテモヤを栽培しています。

ビニールハウスでの夏の作業は気温が40度近くまで上がるそうです。

慣れていなければ、短時間で熱中症で倒れそうです。

金城正浩さんは耳が聞こえにくいので、相当大きな声で喋らないと話が通じません。

U君のパパと金城正浩さんが二人が向かい合って話を始めると、

周りで見ていた人達は、これは誰かが仲介して通訳をしなければ話は通じな

いんじゃないかと心配していました。

ところが、お互いに頷き合って、話が通じているようなので、不思議に思いました。

U君のパパに尋ねてみると、病院で診察していると、

外来で耳の遠い人がよく受診に来られるそうです。

耳の聞こえにくい方には、それなりの尋ね方があるそうです。

今日も外来で学んだ会話の方法で金城正浩さんと話をしたので、お互いにちゃんと分かったそうです。

前の席では、三線の曲に合わせて大きな声で沖縄民謡を歌っています。

とても大きな音響なので、みんな話が聞き取りにくいのに、

よく話の意味が伝わったものだと、感心しました。

みんなで騒いでいるとき、私は金城正浩さんに少し弱気な発言をしました。

思い起こせば、第1回目の沖縄訪問はパスポートを使って訪れています。

沖縄本島の泊港に上陸しました。

沖縄本島をおとづれた後、石垣島を訪ね、その後、他の国に行った後、また沖縄の那覇空港に戻ってきています。

昔のパスポートを見るたびに、旧い沖縄の思い出が蘇ってきます。

30年くらい前から前兼久に来るようになって、親の代から、子供の代へ、そして孫の代まで、

こうして金城家の皆さんや、前兼久の皆さんと親しくして頂けるようになったのに、

もし私が沖縄に、前兼久に来られなくなるようになれば、

私の三人の子供達や、その子供達、つまり私の孫達は、

もう沖縄の前兼久のご縁が切れてしまうのではないかという弱気な発言でした。

親の代から、子供の代へ、そして孫の代まで恩納村、前兼久、金城家の皆さんとのご縁が続いて欲しいのです。

最近の沖縄観光客が増えた事で、一時下がっていた沖縄の不動産価格がゆっくりと回復してきています。

私のホテルの部屋も取引事例の価格を見れば、ゆっくりと価格は回復をしています。

回復は嬉しいのですが、年間維持費がかなりかかる上に、

子供達は仕事があって忙しくしているので、沖縄に来る時間があるかどうかです。

 こんな話をすると、これを聞いていた金城正浩さんは、

そんな事を言うもんじゃない、もっともっと元気で長生きして、

松葉さんがこの先ずっと前兼久に来たら良いんだと、励ましてくれました。

金城正浩さんは子供ガ好きで、子供達もすぐに金城正浩さんに懐くから不思議です。

U君とMちゃんもすっかり金城正浩さんに懐いて、また来るからねと、次の沖縄訪問を約束していました。

U君とMちゃんが沖縄にこれるかどうかは、パパとママの仕事の都合次第です。

なかなかまとまった休みが二人ともとれません。

親が休めなくては、子供も沖縄好きになっても、いつまた来れるか分かりません。 

2018年8月15日(水)

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