復興支援先選択 新しい市場リーダはどこ?大震災20~23日目(№18)

震災後の市場リーダーを見据えて メニコンはどの会社が復興に立ち上がってくるか、様子を見ています。
震災前の取引先と、震災後の取引先に、支援の比重に差が起きそうです。

「制服着用を再開 」

次女の大学進学相談

今日の日曜日、高校の寮で勉学に励んでいる次女から大学進路の相談の電話がありました。

大学進学のような将来を決める大事なことは自宅に戻って相談をするべきな

のですが、交通機関が麻痺しているため戻れず、電話連絡となりました。

私は震災復興に気を取られていますが、娘にとっては大事な大学受験を控えているのでした。

どこの大学を受験するするのかが問題ですが、やはり家に戻り親と相談してどこにするかを決めることになります。

彼女は医学部への進学を志しているので、どこを受けるかといっても、自分

の学力と、自宅通学か、下宿になるのか、選択肢も大きく変わってきます。

このようなことを電話で相談された後で、会社に出社しました。


 
【イメージ画像[交通機関麻痺]】
アサヒグラフ緊急増刊号1995年2月

 

メニコンの復興支援戦略

今日はメニコンの名古屋の本社から幹部の方がお見舞いに来てくださいました。

メニコンに対して何を支援してもらうか、色々希望があります。

足りないことをお話して、メニコンに協力を仰ぐようにしました。

メニコンは特定の販売店に支援を集中的にすれば、後日非難を受けるリスクを抱えていました。

メニコンの神戸市場の取引先は我が社だけではありません。

たくさんの取引先の中で誰が、どの販売店が復興に向かって立ち上がってくるか注目しています。

決断 どの販売店に支援を集中すべきか

メニコンにとってこれまでの最重要顧客である支援したい販売店は果たして

立ち上がれるのかのという関心があります。

本当に支援したい販売店が立ち上がってくれれば一番いいのですが、

そうでない場合は、支援したい販売店を差し置いて立ち上がった人に
復興支援するかどうか、決断すべき問題が起きてきます。

メニコンはこれまで、神戸そごうの東京メガネと、神戸大丸の神戸眼鏡院を最重要顧客としていました。

震災後は、神戸の市場でどこの販売店とパートナーを組んでいくのか判断する時期です。

そごう、大丸以外にも多くの取引先があります。

平等な復興支援をするべきか、一店舗の資源を集中的に投入する傾斜復興支

援をするべきか、社内でも議論されているようです。

復興後の市場リーダーを見据えて


復興支援をするメーカー側から見ると、今後数年のうちに神戸の市場に秩序が戻ってきた
とき、あの時に誰を中心にして復興支援をしたかを問われる時が来ると思います。

その時に対して、説明できる状態で復興支援をしておかないと、後々こんなはずでは
なかったと後悔しないように考えていると思います。

阪神淡路大震災20日目:1995年2月5日(日)

          

以前のように制服を着用して

ぼつぼつお客様が来るようになったので、ちょっと忙しくなりました。


 

新しい職場で、心機一転、今日から制服を着て仕事をするようになりました。

医療関係、及び医療従事者として清潔な身なりを整えて本格的に業務の再開となります。

朝のミーティングの時に、従業員の小山君から「これからは遅刻しないように」という注意の意見が全員に対して出ました。

遅刻をある程度することは仕方がないのですが、遅くとも何時までには来ようという努力目標を持って家を出ないと遅刻は続きます。

お客様、患者様が少しずつ私たちを頼って来ていただけるようになってきました。

私たちがサービスを開始する時間前に揃っていないと、協力して仕事ができなくなるということになります。

ここは頑張って出社してもらうようにお願いしました。

私からは緊急時の非常事態であること、そして私たちはコンタクトレンズで困っているコンタクトレンズ難民の救済のため、サポーターとして仕事をしなければならないことをお話しました。

 


コンピューターの作動停止

えらいことです、頼りのコンピューターが動きません。

素人の我々ではせいぜい叩いてみるしか対処方法がわかりません。

ゆすっても、叩いてもコンピューターは反応してくれません。

さあ、今から復興の案内を出そうと思っている時に、頼みのパソコンは息が
止まってしまいました。

このパソコン君は我が社の弱みを握っています。

パソコン君が機嫌を損なっ停止しまうとダイレクトメールの印刷もできなくなります。

料亭の女将さんが、調理場の板さんに気を使うように、板さんが機嫌を曲げると女将さんはハラハラするようなものです。

さあ、板さんは機嫌を直してくれるのでしょうか。

>阪神淡路大震災21日目:1995年2月6日(月)


 

イメージ画像[交通機関麻痺]】
アサヒグラフ緊急増刊号1995年2月

PC専門家の支援

コンピューターの件について、システムハウス企画の岡本さんに相談をしたところ、大阪から電車で行ける西宮まで電車で、その後は歩いてコンピューターの復旧に駆けつけてくれました。

板さんのために往診に来てくれたお医者さんのように、今日はこのパソコンの診断をする先生が頼りです。

どうなることかとハラハラして診断を待っていましたら、それほど病状は悪くなく、むしろ、「な~んや!」というようなことでした。

それはさんプラザから今西ビルに運ぶときに配線をいったん抜き、そして運んでセットアップした時の配線のミスということが分かりました。

配線を変えるだけでコンピューターは素直に動き始めました。

板さんはご機嫌を曲げていたのではありませんでした。

居眠りをしていただけでした。

これでわざわざ往診に来てくれたのが申し訳なかったのですが、しかし、これを直すことができなかったので、原因を見つけ、パソコンを復旧させることができて大変助かりました。

社長の私としては、大騒ぎをしてわざわざ大阪から来ていただいたのに、単に「配線ミス」では、格好も悪く、大変恥ずかしい思いをしました。

無知とはこのように恥ずかしいことかと反省します。

しかし、せっかく来ていただいたので、震災後のその後のコンピューターについての取り組みについて、意見を交換して、そして御礼を申しあげてお帰り頂きました。

ありがとうございました。

阪神淡路大震災22日目:1995年2月7日(火)

             2019.1月 加筆・更新


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