斎場御嶽の静寂と神秘性 久高島遥拝所から神々の島を拝む
斎場御嶽の静寂と神秘性 第175回沖縄訪問記(10)
斎場御嶽の静寂と神秘性
斎場御嶽(せーふぁーうたき)は南城市にある史跡です。
15世紀-16世紀の琉球國・尚真王時代の御嶽であるとされています。
「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となります。
正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」というそうです。
伝説では千数百年、遥か遠い東(南東の方角)の海の彼方、異界であるニライカナイからやってきた神アマミキヨによって作られたとされるのが琉球の国土だそうです。
その神話に基づく信仰と歴史を伝えるのが沖縄県各所に残る「聖地」と呼ばれる場所です。
今でも現地の人々に厚く信仰され、大切に守られている聖地が引き継がれています。
斎場御嶽はこれまで何度か訪れていますが、奥さんはまだ行ったことが無いというので、案内しています。
斎場御嶽に近づいてくると、奥さんは思い出したようで、ここなら来たことがあると記憶が戻ってきました。
すでに入場券を買っているので、引き帰せません。
斎場御嶽はパワースポット
市街地に斎場御嶽のようなパワースポットがあるのは稀なので、何度でもお詣りしましょう。
10月なのに、沖縄ではセミが鳴いて、日差しは強く、汗は流れてきます。
沖縄はまだ、神戸の8月末か、9月上旬のような気候です。暑いです。
斎場御嶽は世界遺産
斎場御嶽は2000年12月、首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
国の史跡、沖縄県指定名勝にも指定されており、御嶽内で出土した陶磁器と勾玉などは「沖縄県斎場御嶽出土品」の名称で国の重要文化財(考古資料)に指定されています。
斎場御嶽の中に入ると、周囲の森林は沖縄本島南部における最も優れた森林の一つで、シダ植物やラン科植物などに珍しいものが多く残っています。
斎場御嶽の道は、山道で傾斜もあって、整備されていますが、ヒールが高い靴だと危険です。
雨上がりの日は、斜面が滑りやすく、危険です。
こけると岩に頭を打って、危険です。
かなり、危険な個所が多いので、慎重に歩かなければ、思わぬ災害に見舞われそうです。
本島中南部は第二次世界大戦において、艦砲射撃を受けているので、地形は崩れ、被害を受け、以前の状態を残した場所がほとんどありません。
奇跡的にこの地域は戦災を免れた地域です。
いくつかの艦砲弾着弾跡があり、一つは見学道から見ることができました。
敷地内には首里城内の施設名と同じ拝所が複数あります。
斎場御嶽の拝所
石の広間の奥には岩をくりぬいて造られた拝壇があり、ここが大庫理(ウフグーイ)と呼ばれる拝所です。
聞得大君の即位式が行われた舞台であり、祈りを行う場所です。
昔なら、恐れ多く、一般人は近づけなかった神聖な舞台です。
3つの拝所が集中する最奥部の三庫理(さんぐーい)には「チョウノハナ(京の華)」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされています。
三庫理からは王国開闢にまつわる最高聖地とされている久高島を遥拝することができる場所がありました。
森の間から、久高島(くだかじま)が見えました。
かつての三庫理は三方を岩壁に囲まれた空間だったそうです。
拝所には、岩に向かって手を合わせ、拝んでいる女性の姿が見えました。
斎場御嶽は沖縄の植物や石灰岩に囲まれた鬱蒼とした森の中にあります。
こぼれ日の光が、植物を輝かせ、緑色や木々の間から透ける光に深い森の静寂を感じます。
昔のままの、手付かずの自然の森を十分楽しむことができました。
その自然に囲まれた石畳を進んでいくと、広場や祭壇が現れ、ここは拝所であることを感じました。
2019年10月7日(月)
沖縄の島の始まりは久高島で、日本列島の始まりは淡路島と言われています。 第148回沖縄訪問(7)
斎場御嶽(せーふぁうたき)です。場所は、南城市知念字久手堅です。
先に入場券を買って、500m先の入り口に向かいます。
11月の8日には、晴れていればとても美しい月が昇るように、観月会のポスターがありました。
斎場御嶽では、入場券を渡すと、小さな部屋に案内され、まず斎場御嶽でのマナーをビデオで学びます。
斎場御嶽は、神を祀る神聖な場所なので、一般の観光地とは位置づけが違います。
世界文化遺産に登録されている斎場御嶽には、今も礼拝の儀式が続いているのです。
ちょうど、番組の収録の撮影中でした。テレビ撮影をされていたのは、多分地元の有名人だと思います。
斎場御嶽のガイドさんが説明役で、モデルさんは案内を聞く役割です。
この方は、誰でしょう?松葉博雄は知らなくても、地元沖縄では、知っている人は沢山いると思います。
撮影を最後まで見ていたら時間がかかるので、先を急ぎます。
この時期、秋なのに若葉が輝いていました。
あちらこちらに斎場御嶽の説明の為の掲示板があります。
琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立つのが、聞得大君(きこえおおきみ)です。
聞得大君は、国王の姉妹など、主に王族の女性が任命されています。
そういえば、内地でも、伊勢神宮の最高の地位を斎王といい、天皇の代わりとして、皇族から選ばれています。
斎場御嶽をぐるっと廻っていると、この周辺は昔の琉球王朝の名残が残っているようです。
南城市の知念のすぐ向かいには、久高島があります。
久高島信仰と言って、琉球開びゃくの祖アマミキヨが天から降りて、最初に作った島が久高島と言われています。
これも、内地では最初に作った島を淡路島と言っているのと、似ている感じです。
久高島に行ったとき、久高島には、島を祀る信仰が強いことを感じました。
久高島から、自然物を持ち出してはいけません。
久高島が、神の島だと信じられていたことを思い出します。
日本の鍾乳石と、三角形の空間の突き当たる部分は、それぞれがノロの拝所となっています。
この岩と岩の間の隙間を通り抜けて奥に進むと、そこからは海上はるか5km先に久高島が見えました。
以前に、沖縄の浜比嘉島に行ったとき、こんな神秘的な、古代的な岩組みがありました。
自然の営みが、今のように科学的に解明されていなかった時代には、いろいろな現象は、神の成した声として、信仰の対象になったようです。
先日の皆既月食を例に考えると、皆既月食が起きる原因が分からなければ、神の思し召しと考えるのも、自然だと思います。
世界文化遺産の斎場御嶽を見た後、前兼久に帰りました。
前兼久の夜はゆっくりと更けていきます。
2014年11月4日(火)