与論港に「フェリーなみのうえ」は着きました。与論港旅客待合所から、与論空港はすぐ近くにあります。近くに「ヨロン駅」もあります 第102回沖縄訪問(12)
与論港に「フェリーなみのうえ」は着きました。与論港旅客待合所から、与論空港はすぐ近くにあります。近くに「ヨロン駅」もあります。
【恩納村前兼久から南へは豊見城市・糸満市・南城市、北へは与論島を駆け回りました その12】
マルエーフェリーの「フェリーなみのうえ」は、与論島に近づいています。まだ、沖縄が米軍に占領されていた時代では、鹿児島県の与論島が日本の最南端でした。
1972年(昭和47年)に沖縄が日本に返還される前までは、パスポートなしで旅行できる南の果てが、与論島でした。この頃は、若い人が集まって、与論の文化を創っていた時代があります。
松葉博雄が与論島に訪れたのは、最初は、1967年11月でした。その後、1982年にも来ています。
1982年に乗った船は、「RKK LINE」でした。今日の「フェリーなみのうえ」は、以前に比べて格段に大きくなり、接岸するための岸壁も新しい港を作って、深い水深で大型のフェリーが接岸できるようになっています。
船を下りて、与論島に上陸です。与論港旅客待合所の前の広場から見ると、「“フェリーなみのうえ”は、大きな船だなぁ」と思いました。
待合室のすぐ手前に、小さな浜辺があり、浜辺に寄せる海水を見ていると、水が透明で、エメラルドグリーンの綺麗さに驚きました。
フェリーの中では、車の中で状況も分からず心配だったリー君に、片山正喜さんは、車の外に出してやり、散歩をさせて、水をやります。
一応、与論港船着き場の室内に入ってみましたが、旅客は誰もいません。
12月の今のシーズンは、海水浴やダイビングの観光客は見当たりません。
片山正喜さんの案内で、これから与論島の島巡りです。まず最初に、鉄道もないのに駅がある、不思議な「ヨロン駅」に寄りました。
ヨロン駅の玄関の向こうには、美しい海と、綺麗な白い砂浜が広がり、手前には、良く伸びたツタの葉が砂浜を覆って隠しています。
「ヨロン駅」の玄関から浜辺に下っていくと、綺麗な砂浜につながって行きます。ここには、素晴らしい自然が残っています。
「ヨロン駅」の砂浜が、こんなに綺麗な砂浜がすぐ側にあるとは思いませんでした。
都会から来た若い人たちは、この夏も、「ヨロン駅」のプラットホームに立って、この景色を見て、どれだけ感動したのでしょうか。
きっと、めちゃくちゃく感動して、ワイワイと手を取合って、浜辺に走り寄って、砂浜に足を入れ、靴を脱いで、海の水の冷たさを確かめるように、少しずつ深い海に進んでいたと想像します。
砂浜の白い砂を両手でそっとすくい上げて、間近に見てみると、小さな貝の形をした砂や、白い岩が波に砕けて、小さな粒状になった砂などが混じっています。
次に訪れたのは、与論空港です。与論港のすぐ近くにあります。滑走路の周りを車でぐるっとまわってみました。
あまり大きな飛行機が離発着するには、滑走路の長さが足りないようです。
昼食をどこで食べるか、片山正喜さんと相談して、町役場がある与論の銀座通りに行く事にしました。
途中、ホテルの「PRICIA」の前を通りました。今この「PRICIA」が島では最高級のホテルです。
茶花漁港に行きました。駐車場を探しているうちに、茶花漁港に来ています。ここから与論町役場がすぐ近くにあります。
車を降りて、与論の銀座通りを歩きながら、探し当てたのが、「炉端居酒屋・海将」です。
片山正喜さんの愛犬リー君は、お店の中に入れないので、入り口の柱に繋いで、お店の中に入ります。
夏のような日照りの中で、与論島の大きな建物は、白壁で目に眩しく感じる建物が多くありました。夏の日を思い出し、まずはビールを飲みたいと思います。
2008年12月2日(火)
与論港に「フェリーなみのうえ」は着きました。与論港旅客待合所から、与論空港はすぐ近くにあります。近くに「ヨロン駅」もあります。
【恩納村前兼久から南へは豊見城市・糸満市・南城市、北へは与論島を駆け回りました その12】
マルエーフェリーの「フェリーなみのうえ」は、与論島に近づいています。まだ、沖縄が米軍に占領されていた時代では、鹿児島県の与論島が日本の最南端でした。
1972年(昭和47年)に沖縄が日本に返還される前までは、パスポートなしで旅行できる南の果てが、与論島でした。この頃は、若い人が集まって、与論の文化を創っていた時代があります。
松葉博雄が与論島に訪れたのは、最初は、1967年11月でした。その後、1982年にも来ています。
1982年に乗った船は、「RKK LINE」でした。今日の「フェリーなみのうえ」は、以前に比べて格段に大きくなり、接岸するための岸壁も新しい港を作って、深い水深で大型のフェリーが接岸できるようになっています。
船を下りて、与論島に上陸です。与論港旅客待合所の前の広場から見ると、「“フェリーなみのうえ”は、大きな船だなぁ」と思いました。
待合室のすぐ手前に、小さな浜辺があり、浜辺に寄せる海水を見ていると、水が透明で、エメラルドグリーンの綺麗さに驚きました。
フェリーの中では、車の中で状況も分からず心配だったリー君に、片山正喜さんは、車の外に出してやり、散歩をさせて、水をやります。
一応、与論港船着き場の室内に入ってみましたが、旅客は誰もいません。
12月の今のシーズンは、海水浴やダイビングの観光客は見当たりません。
片山正喜さんの案内で、これから与論島の島巡りです。まず最初に、鉄道もないのに駅がある、不思議な「ヨロン駅」に寄りました。
ヨロン駅の玄関の向こうには、美しい海と、綺麗な白い砂浜が広がり、手前には、良く伸びたツタの葉が砂浜を覆って隠しています。
「ヨロン駅」の玄関から浜辺に下っていくと、綺麗な砂浜につながって行きます。ここには、素晴らしい自然が残っています。
「ヨロン駅」の砂浜が、こんなに綺麗な砂浜がすぐ側にあるとは思いませんでした。
都会から来た若い人たちは、この夏も、「ヨロン駅」のプラットホームに立って、この景色を見て、どれだけ感動したのでしょうか。
きっと、めちゃくちゃく感動して、ワイワイと手を取合って、浜辺に走り寄って、砂浜に足を入れ、靴を脱いで、海の水の冷たさを確かめるように、少しずつ深い海に進んでいたと想像します。
砂浜の白い砂を両手でそっとすくい上げて、間近に見てみると、小さな貝の形をした砂や、白い岩が波に砕けて、小さな粒状になった砂などが混じっています。
次に訪れたのは、与論空港です。与論港のすぐ近くにあります。滑走路の周りを車でぐるっとまわってみました。
あまり大きな飛行機が離発着するには、滑走路の長さが足りないようです。
昼食をどこで食べるか、片山正喜さんと相談して、町役場がある与論の銀座通りに行く事にしました。
途中、ホテルの「PRICIA」の前を通りました。今この「PRICIA」が島では最高級のホテルです。
茶花漁港に行きました。駐車場を探しているうちに、茶花漁港に来ています。ここから与論町役場がすぐ近くにあります。
車を降りて、与論の銀座通りを歩きながら、探し当てたのが、「炉端居酒屋・海将」です。
片山正喜さんの愛犬リー君は、お店の中に入れないので、入り口の柱に繋いで、お店の中に入ります。
夏のような日照りの中で、与論島の大きな建物は、白壁で目に眩しく感じる建物が多くありました。夏の日を思い出し、まずはビールを飲みたいと思います。
2008年12月2日(火)
与論民族村では、オーナーの菊千代さんから、茅葺きの屋敷を維持する難しさを聞きました。素材の茅と茅職人はどんどん減っています。
【恩納村前兼久から南へは豊見城市・糸満市・南城市、北へは与論島を駆け回りました その14】
百合ケ浜を見た後は、浜辺の近くに並ぶお土産物屋さんを覗いてみました。
12月の浜辺を訪れる客はいませんが、それでもお店を開いて、お店の貝細工を見て行くように、誘われました。
一件の店に入って、何となく並べている珊瑚のネックレスなを見ていると、お店のおばあちゃんが星の砂をくれました。
「私が作ったから、どれも安いよ」と言っていても、人件費の安い南の国から輸入していることを知っているので、聞き流しています。
今日、泊まる「星砂荘」にチェックインに訪れました。あいにく、ご主人は留守でした。
その間に、「星砂荘」の近くの観光施設に行きます。
歩いて行けるぐらいすぐ近くの与論民族村です。ここは、前に来たことがあります。そのことを片山正喜さんに話しました。
「サトウキビを絞るため、牛がグルグルまわる作業の場所がありますよ」と言ったら、片山正喜さんは、「そんなことはない」ということですが、どうでしょうか?
片山正喜さんの方が詳しいので、松葉博雄の記憶間違いかなと、思って見たり、「確かにあった」と自信を持ってみたり、まずは確かめてみましょう。
数年前、片山正喜さんは、与論民族村の経営者の方に沖縄からパパイヤの苗を持ってきて、植えたそうです。
どれだけ大きくなったか、片山正喜さんもパパイヤの成長を気にしていました。それが見事成長して、今年は台風もなく、たくさんのパパイヤの実を付けています。
民族村は民営です。与論の昔の家、沖縄の文化、奄美群島の文化を今も残しています。
茅葺き屋根の維持は、素材の茅を集めることと、茅を屋根に葺く茅職人が集まらないので、葺き替えが大変です。
与論民族村の入場券は400円です。松葉博雄は有料で、片山正喜さんは、馴染みなので顔パスです。
民族村を一つひとつ屋敷を巡り、歩いているうちに、記憶が戻ってきました。確かに、サトウキビを絞るための、牛がまわる施設があるはずです。
中庭には、バナナが実っています。
窓から覗く屋敷の中には、昔使った機織り機がありました。
見つけました。サトウキビを絞る機械です。
牛がグルグルまわってサトウキビから砂糖きび液を絞ります。そして、黒糖を作ります。
米蔵倉もありました。以前、与論島では、二毛作で米が取れたそうです。そのときに、米を収納した蔵です。ネズミが来ないように、高倉にしています。
昔の酒や米などを貯蔵する倉庫です。
戦後、沖縄と与論が分断されたときには、パスポートが発行され、沖縄からは泡盛が入らなくなった時期があったそうです。
与論民族村を経営する菊千代さんは、時代とともに消えていく、琉球時代の家屋や農耕具、漁業具などを収集し、保存しています。
与論島だけでなく、沖縄本島から木造のお家を移築しています。
文化財としての価値が注目され、本にも掲載され、紹介されています。
オーナーの菊千代さんと片山正喜さんは、お茶を飲みながら、昔話に移り、松葉博雄が知らない昔話に、笑いこけていました。
確かに貴重な文化財です。
民族村の歩道を案内に沿って歩いてみると、先日の朝日会バス旅行で見た「おきなわワールド」の「王国村・城下町」と同じように、今では壊されてしまった、台風にも耐えた、強い作りの民家です。
下の写真は、30年近く前に、松葉博雄が与論民族村に来たときの写真です。今と比べてみても、あまり変化がありません。
よく手入れして保存できています。変っているのは、民族村にいる人たちの世代でしょうか。
2008年12月2日(火)
与論島で見た物:德田たけしさんのポスター、与論港岸壁の釣、民宿「星の砂荘」、黒糖焼酎「有泉」のサービス、夜空に流れる流れ星
【恩納村前兼久から南へは豊見城市・糸満市・南城市、北へは与論島を駆け回りました その15】
与論民族村の見学を終え、車で与論島をあちらこちらドライブしていると、選挙用のポスターがあちらこちらで目に着きました。
衆議院総選挙が近々あると予測し、選挙準備をしている立候補予定者の立て看板があります。与論島は、徳洲会の徳田たけしさんが積極的に看板を立てています。
夕方になり、日が沈みかける前に、片山正喜さんは、与論島で釣をするということに決めています。釣具屋さんに行って、釣の道具と餌を買います。
夕方の日没寸前の頃は、魚の餌の食い付きが良いそうで、この時期を逃すと、魚は釣れなくなるから、今がチャンスということです。
松葉博雄は、釣にはあまり興味がないので、釣り具店の周りをグルグルまわって、民家の写真を撮っています。
釣具屋さんの隣には、なんと枇杷の木がありました。枇杷の木は12月になって花が咲き、実は6月頃収穫です。
最初に上陸した与論港の船着き場に来ています。ここで、片山正喜さんは「大物を狙う」と言っていますが、そんなに簡単に釣れるとは思いません。
釣をしようと思えば、竿を出し、釣り糸を付け、冷凍えびの餌を餌カゴや針に引っかけ、ベトベトした手で竿を持ち、海に向かって投げ込み、当りが来るまでじっと様子を見ながら、待たなければなりません。
冷凍えびの解凍した臭いが、手や竿に付き、周りが生臭くなってきて、手を洗いたいものの水もなく、ベトベトしてイヤになってきました。
夕日が沈む夕方の5時半ごろ頃、釣を諦めて、写真を撮っています。素晴らしい景色です。足下の水を見てみると、なんと澄んだ水なのか、綺麗です。
松葉博雄が「もう釣を止めよう」と、何回も言ったので、片山正喜さんも魚釣りを諦めて、竿を納め、車に積んで、今晩泊まる民宿「星砂荘」に着きました。
まずは、冷えたビールを頂きます。ビールを飲みながら、民宿の「星砂荘」の食堂でフロントを見ると、中学生ぐらいの坊ちゃんが受付をしています。
パソコンを見ているようです。フロント係の坊ちゃんは、熱心にパソコンでゲームをやっています。
フロントには、自然保護のために、「これより小さい魚介類を捕ってはダメですよ」という注意を呼びかけるポスターが張ってありました。
サザエ、夜光貝、えび、シャコガイ、それぞれ10センチ以下は捕ってはいけません。
今日の夕ご飯です。テレビレポートでは、有名人が民宿に泊まり、民宿の夕ご飯の山海の珍味にびっくり驚き、「こんなに民宿って素晴らしいものですか」と締めがあるところですが、さて、有名人でない片山正喜さんと松葉博雄の場合は、どんな料理が出てくるでしょうか?
お料理のメニューは、冷凍の刺身、片山正喜さんが持ってきたパパイヤの煮物、ブリの切り身の塩焼きなどがありました。
食後のデザートには、ドラゴンフルーツが出てきました。白いのと赤いのがあります。吸い物には、麩が浮いています。
ちょっと嬉しかったことは、与論島の民宿では、黒糖焼酎の有泉は、自由に何杯でも無料で飲んでも良いとなっています。
これは、嬉しいサービスです。有料のビールは止めて、今夜は無料サービスの黒糖焼酎の有泉の水割りを何杯も飲みました。
片山正喜さんは、民宿「星砂荘」のロビーの書棚にあった、三国志の漫画を読むそうです。6冊ほどが一揃えになっているので、読み応えがあるようです。
今日の宿泊客は、片山正喜さんと松葉博雄だけのようです。静かで良かったです。民宿「星の砂荘」には、夏時になると、修学旅行生も多く宿泊に来るようです。壁に貼ってある写真を見ると、大変な賑わいに見えます。
民宿のお嬢さんが、「明日、何時に起きる?」と聞きに来ました。ストレートな質問ですが、女将さんが何時に朝食を作ったら良いのかを、宿泊客に確認するために、お嬢ちゃんが客の都合を尋ねているようです。
初冬の夜は早く、辺りが暗くなってきたので、ちょっと民宿の周りを歩いてみました。
片山正喜さんが懐中電灯を貸してくれました。外に出ると、本当に真っ暗です。懐中電灯がないと、道を踏み外しそうです。真っ直ぐ海の方に行くと、先程の民族博物館に出ます。その先が海になります。
今日は、三日月で、木星と金星が接近する夜です。暗い夜道に、星が綺麗に光っています。こんなに星が光るのかというほど、光るだけでなく、輝いて燃えていることが分かります。