恩納村 旧冨着村 生活を支えた谷底にある水汲み場 水を汲むのは、昔は女性の仕事でした。
恩納村旧冨着村 生活を支えた谷底にある水汲み場 水を汲むのは、昔は女性の仕事でした。第86回沖縄訪問(17)
【沖縄本土復帰35周年記念日は、5月15日です。日本プロゴルフ選手権大会が沖縄で開催されました その17】
恩納村旧冨着村 生活を支えた谷底にある水汲み場
片山正喜さんの農園を見学させていただいた後は、
旧冨着村を歩いてみることにします。
昔、冨着村の人たちは、
丘の上に住んで、今のように、
海岸沿いに住んでいませんでした。
その頃は、丘の日当たりの良い斜面は、
住居地だったようです。
生活の拠点は、冨着の丘にあります。
冨着の丘には谷があって、
そこに水汲みに行きます。
水を汲むのは、昔は女性の仕事でした。
今は、階段が付いていますが、
昔は赤土の坂を上り下りして、
木が茂って、うっそうとした暗い道でした。
この急な坂道を、天秤棒を担いで、
水を谷底から家まで運ぶことが、
女性の仕事だったのですから、
きっと大変な辛い思いをしたと思います。
温室の中の熱帯植物園のような
南国の樹木が生い茂っている中を、
階段をゆっくりと下っていくと、
ヘゴヤシも見えます。
蔦が絡んだ木もあります。
緑豊かな森が、ここには残っています。
この木の下には、陽を取り合って、
上に上に伸びようとしている樹木が、
出来るだけ日光を浴びようとしても、
なかなか日光に恵まれない植物が共存しています。
日が当たれば、木が生長し、日が当たらなければ、
やせ細った枝木になってしまいます。
そこで、世代交代で、大きな木が倒れると、
これまで日が当たらなかった
痩せ細った木が伸びるチャンスとなります。
間もなく、冨着村の水汲み場に着きます。
ちょっと水は濁っていました。
以前はもっと川幅が広くて、深みがあって、
子供が泳げるぐらい広かったようです。
上流の土地開拓が、赤土を川に流し、
土砂となって、川を埋めて、狭くなっています。
丘の木の茂みの中には、
オカヤドカリが歩いていました。
亜熱帯を思わせる、樹木の道を歩いていると
、本当に森林浴をしてる実感がします。
谷底から、もう一度丘の上に戻り、次に、
この冨着村の有力者である、
冨着家を祀る礼拝所に行くことにします。
礼拝所には、鍵がかかっていて、中には入れません。
正月には、ここで、冨着家の皆さんが集まって、
祖先に礼拝するということです。
昔、丘に住んでいた頃は、畑が頼りですが、
赤土なので、お米は出来なくて、
芋とかサトウキビを作っていたようです。
しかし、水がないので、それほど収獲も期待できず、
台風もあり、生活は大変だったということが、想像できます。
旧冨着村ツアーが終わり、
案内してくれた片山正喜さんにお礼を言って別れた後は、
お昼ご飯を食べに行きます。
片山正喜さんが薦めてくれた
ムーンビーチホテルのすぐ近くにあるお店です。
さて、どんなお店でしょうか?
美味しいお料理は出るでしょうか?
2007年5月16日(水)