座喜味グスク(読谷村)の側に、琉球の武将護佐丸のお墓があります。素晴らしいお墓です。護佐丸は一時、山田城(恩納村)の領主でした。

琉球の武将護佐丸のお墓  座喜味城主護佐丸のお墓は、座喜味城のすぐ近くにあります。ひっそりと林の中に隠れて、お詣りする人も少ない場所ですが、素晴らしいお墓です。 第165回沖縄訪問(6)

 

琉球の武将護佐丸のお墓

 次は中城に行きます。

目的は戦国武将護佐丸のお墓にお詣りするためです。

中城のお城の近くに、

護佐丸の墓があるそうなので、

そちらにお詣りに行く予定です。

座喜味城をつくった護佐丸は、

築城の天才と言われています。

生まれた年はハッキリしていませんが、

亡くなった年は1458年です。

護佐丸の築城技術は

琉球の築城技術の最高峰だと言われています。

資源に恵まれない沖縄で、手に入れられる物を使って、

創意工夫して、難攻不落の城を作っています。

護佐丸が活躍したのは1400年頃です。

日本では室町時代、中国大陸では明の時代です。

護佐丸は一時、山田城(恩納村)の領主でした。

護佐丸は、尚巴志に協力して1416年、

今帰仁城を攻め落としました。

今帰仁城の草は血で染まったと言われています。

この闘いで活躍したご褒美として、

護佐丸は座喜味を領地としてもらっています。

護佐丸の墓に通じる道は、高い丘の上にあります。

護佐丸を慕う現代の人達によって、墓に通じる道は整備され、

コンクリートの階段になっています。

階段をゆっくり上がっていきます。

昔の林が残っていました。

なかなかきつい階段で、

途中で休みながら上がりました。

この護佐丸の墓は、今では

沖縄で一番古い亀甲紋の墓だそうです。

立派な墓です。

550年もこれだけもつのは大したものです。

平和な島のように思えても、

沖縄の歴史は戦国時代があり、

各地の豪族が闘いあって、

沖縄統一をしています。

沖縄は琉球と言われ、

琉球王朝が成立するまでは、

沢山の戦死者が出ています。

どんな闘いだったのか、

頭の中で想像しながら お墓の上の段に上がってみました。

お墓からは宜野湾が見えました。

日当たりがよくて、

お墓はこういう所に作ってもらえたら良いと思います。

昔から勢力を持っている人が好むお墓は、

南向きの斜面で、出来たら海が見える場所、

海がなければ川が見える場所、

そして集落が見える場所が好まれています。

そういう価値基準から見ると、

護佐丸の墓は、

海が見えて日当たりの良い南向きのお墓です。

12月でも沖縄の直射日光にあたると、

じわっと汗が額に滲んできます。

ここちよい汗です。

沖縄に来る観光客の中で、

沖縄の歴史に興味があったり、

沖縄の歴史の中の武将に興味があったり、

護佐丸のような強い武将に興味を持って、

そのお墓まで尋ねる人は、

全観光客の中の1%以下です。

もっともっと低く、0.001%かもしれません。

静寂の中で、建立当時のままの護佐丸の墓の前で、

ゆっくりとした時間を過ごしていると、

もっともっと沖縄の戦国時代の歴史も知りたくなってきます。

そうとうゆっくりとした時間を過ごして、

この後護佐丸のお墓を去る事になります。

もうこのお墓に来る事はないと思うと、もう一度振り返って、

護佐丸のお墓に一例をして、階段を下りていきます。

護佐丸のお墓にお詣りをして今日の予定は終了です。

ホテルに帰ります。 

2017年12月30日(土)


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