座喜味城は、読谷山の按司護佐丸(あじごさまる)が、15世紀初頭に造った最高傑作です。
座喜味城は、読谷山の按司護佐丸(あじごさまる)が、15世紀初頭に造った最高傑作です。社長ブログ神戸/沖縄恩納村/座喜味城跡 第155回沖縄訪問(6)
座喜味城(ざきみぐすく)跡に来ています。
気温は30℃で、耳に聞こえるのはセミの声です。
芭蕉の句に、『夏草や兵どもが夢の跡』という句があります。
この座喜味城跡にも、
昔、この城を巡って地域の豪族達が戦っただろうと、
思いが巡ります。
お城の入り口の脇に、
高倉が二棟建っています。
床を高くして、ネズミが侵入してくるのを、
防いでいたようです。
片山正喜さんが感心していることは、
沖縄の本島では、松食い虫が松を枯らして、
各地の松は緑を失っていますが、
この座喜味城跡の松林は、
まだ松食い虫の被害にあっていないようです。
座喜味城は名築城家として名高い
読谷山の按司護佐丸(あじごさまる)が、
15世紀初頭に造った最高傑作です。
名将であり名築城家とも呼ばれた護佐丸は、
今帰仁城の看守を任されていた時に見た
今帰仁城の軍事的要塞としての機能や構造を参考にして、
ゼロから座喜味城を築城したといわれています。
座喜味城跡の保存が良好なのは、
護佐丸がいた18年余りの間
一度も戦をすることがなかったためだといわれています。
城門のアーチに楔石を用いており、
アーチ門では古い形態とされている様です。
沖縄戦では日本軍の砲台や、
戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため
城壁が一部壊れてしまったそうですが、
今は一部復元されています。
座喜味城跡は世界遺産に登録されていますが、
他の城と違って入場料は無料です。
その上、城壁に登ることが許可されています。
城からの景色は絶景で、
残波岬、恩納村の海岸、
遠くは那覇市や慶良間まで見ることができます。
お城の頂上部分に、これから先は、
「いっちぇーならんど~」と、
進入禁止の立て札が立っていました。
でも、それほど危険な様子はないので、
もう少し前進してみます。
これ以上前に出ると、
石垣はここで終わって、この先は石垣の下です。
石垣は、キレイな曲線を描いて、
内地のお城とは、やや曲線の具合が違っています。
内地の石垣は、上に上がると反り返しの勾配になっていて、
いわゆる武者返しと言われる曲線がありますが、
沖縄のお城には、武者返しの曲線はありません。
沖縄は、関ヶ原の戦いの後は、
徳川幕府によって、九州の薩摩藩、
島津氏の支配を受けるようになりました。
この後からは、沖縄の兵士には、
武器を持つことは禁止され、
武器の代わりに、空手や棒術が発展していきます。
2015年10月3日(土)