恩納村から北中城村へ 北中城の中村家住宅は、国指定の重要文化財です。

北中城村 北中城の中村住宅、浜比嘉島の吉本家住宅、いずれも、サトウキビから砂糖を搾った機械が残っています。 第152回沖縄訪問(4)社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活

北中城村の中村家は、

今から約500年ほど前のお屋敷跡です。

今の建物は、18世紀中頃に建てられたと伝えられています。

武家屋敷かなと思っていたら、

この地域の豪農だったようです。

何で財をなして、このような豪邸を建てたのか、

中に入って調べてみます。

屋敷の前には池があり、

池には鯉が飼われていて、

人が近づくと、条件反射のように、

口を開けて餌を待ち受けています。

この池は、付近に絶えることのない水が湧いていて、

その水がここに引かれているようです。

従って、ため池ではなくて、流れを止めて池にしたので、

水は常に入れ替わっています。

池の周りには、沖縄海洋博公園の熱帯ドリームセンターで見た、ベンガルヤハズカズラの花が、一面に咲いていました。

中村家を見学する入場券は500円です。

ここでは、昔の農家の家を復興したということですが、

ただの農家ではなくて、

相当なお金持ちの家だということが分かります。

何故分かるかといえば、

砂糖を搾る道具が残されているからです。

サトウキビを搾る機械が有ることは、

資産家の証しです。

以前に、浜比嘉島で、吉本家の屋敷を訪問したときに、吉本家でも、サトウキビを搾る機械が残っていました。

中村家住宅は、

戦前の沖縄の住居建築の特色をすべて備えている建物です。

沖縄本島内で、

このように屋敷構えがそっくり残っている例は極めて珍しく、

当時の上層農家の生活を知る上にも

貴重な遺構であるという事で、

昭和31年に琉球政府から、

昭和47年に日本政府によって

国の重要文化財に指定されたそうです。

この高倉は、沖縄在来の形式である丸柱でもなく、

住居と同じ角柱を用い、

壁と床とも板張りであるのが特徴となっています。

この中村家が、

どのくらいの高いレベルのお屋敷であったかは、

一般庶民の、農家の住まいと比べてみないと、

違いが分かりませんが、江戸時代の庶民や農家は、

今で言うバラック小屋のようなもので、

瓦を乗せた家は、作る事も許されていない時代です。

お部屋は全部琉球畳が敷かれていました。

琉球畳みの特徴は、和畳みより編み目が太く、

素足で歩くと、足に当たる肌触りが心地よいのです。

各部屋は、明け放れていますが、

当然、昔はふすまで閉められて、

一つ一つの部屋は、

6畳から8畳ほどの小さな部屋です。

沖縄では、人が集まることが多く、

人が集まれば、酒席となるので、

ふすまを取り払えば、

大広間になります。

中村家の柱の材質は、

当時農民には使用を許されていなかった、

チャーギ(イヌマキ)、

イーク(モッコク)が使われて居ます。

屋根は本瓦葺きで、

屋根の上には魔除けのシーサー(獅子)を置いています。

生活の匂いのない、生活物資のない、

そぎ落とされた空間です。

そうなると、屋敷内はとても広く見えます。

沖縄式の仏壇が祀られています。

もちろん、中村家を祀る、

本物の仏壇ではありません。

母屋は、一番座(客間)、

二番座(仏間)、

三番座(居間)となっています。

そのほかに、寝室、板の間などがあります。

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2015年4月11日(土)


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