高野山 真言宗 金峯寺 観音寺には鍾乳洞(ガマ)があります。社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活
上又毛公園には、フィリピン移民の父 大城孝藏之像があります。 第151回沖縄訪問(10)社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活
龍の蔵は、観音寺のすぐそばにあります。
沖縄でお寺を見るのは珍しいのです。
鍾乳洞がこの観音寺の境内にあるので、覗いてみます。
観音寺の入り口から、正面に本堂が見えて、
お寺の境内は、そんなに広くありません。
もし、内地のように広い境内であれば、
沖縄の気候であれば、原始林のような樹木が成長するはずです。
中でも、ガジュマロの木は、
200~300年の古木になると、とても風格があります。
本堂でご挨拶をして、その右側にある鍾乳洞にいってみます。
鍾乳洞内でのお願いの看板がありました。
ゴミを捨てない、飲食禁止、
線香やウチカビに火をつけて使用しない、
お金を置かない、酒・米をこぼさない、
観音寺と無関係の仏像を置かないで下さい。
などが書かれてあります。
雨の降った後の急な階段なので、滑ると大変です。
奥さんと、松田光正さんを待たせているので、
鍾乳洞の奥には入りません。
観音寺の境内は、静かなものです。
あまり参拝者もいなくて、雨上がりの澄んだ空気の中で、
森林浴をしているようです。
沖縄では、お葬式には、内地のように沢山のお坊さんが来ません。
お坊さんがいない時もあります。
お寺が少ないから、お葬式にお坊さんが来ないのか?、
お葬式に呼ばれないからお寺が少ないのか?
と考えてみると、思い出したのは、内地の場合は、
江戸時代に寺請制度があったからです。
つまり、お寺が今の市役所や、
区役所の戸籍係の役割を担っていたのです。
沖縄にはこの寺請制度がなかったので、
お寺は沢山ありません。
次に松田光正さんが案内してくれたのは、上又毛公園です。
この公園には、フィリピン移民の父 大城孝藏之像があります。
大城孝蔵は、フィリピン移民、
ダバオ開拓の功労者として知られています。
大城孝藏さんは、明治14年2月10日生まれ、
沖縄県出身の東京帝大中退です。
明治37年沖縄県初のフィリピン移住民の監督としてルソン島にわたり、
道路工事を完成させました。
のちミンダナオ島に移り、マニラ麻の栽培に成功しました。
大正7年ダバオに日本人会を設立し、初代会長となっています。
昭和10年10月30日死去、55歳でした。
展望台があるので、上がってみます。
金武の街が広がっています。
市街地には住宅が広がり、あまり緑地がないように見えます。
向こうに見えるのは金武湾です。
2015年3月1日(日)