うるま市立伊計島小学校の前を通って、伊計島の集落に入ります。
うるま市立伊計島小学校の前を通って、伊計島の集落に入ります。伊計ビーチは、伊計島総合開発株式会社が、ビーチに入る入場料をとっています。 第150回沖縄訪問(12)社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活
伊計島小学校の前に来ました。
伊計島小学校は、学校間の統合により、今は廃校になっていますが、
地域の人達は、伊計島小学校を使って、文化的な活動をしています。
うるま市公式ホームページより
普段は、通り過ぎる伊計島の集落を、
今日は片山正喜さんの車の運転で、集落の中に入り込んでみました。
売り地がありました。いくらかなぁ?
と思って看板を見ると、坪当たり、9万円です。
伊計島の集落は、狭い道で、車がやっと一台通れるぐらいの細い道です。
もし、対向車が来たら、どちらかがバックしなければ、収まりがつきません。
海岸の方に出ると、綺麗な色の屋根瓦が見えて、
普段の沖縄の屋根との違いを感じました。
浜辺の脇には、日露戦争で亡くなった方の慰霊塔がありました。
太平洋戦争の慰霊塔は、これまでも見たことがありますが、
日露戦争となると初めてです。
集落の脇に、地元の人達が使う漁港がありました。
どこもかしこも、コンクリートで、護岸している沖縄ですが、
少しだけ自然のビーチがありました。
やはり、自然が残っていると、沖縄らしさが残っています。
どこもかしこもコンクリートで覆ってほしくありません。
少し場所を変えると、先ほど宮城島と伊計島を結ぶ、
伊計島大橋を通過しましたが、今度は、浜辺側から、
伊計島大橋が見える場所がありました。
突堤があり、向こうの方では、何人かの人達が、
海に向かって釣りをしています。
そちらに行ってみることにします。
コンクリートの突堤を、先に向かって歩いていくと、
伊計島大橋がよく見える場所になりました。
魚釣りの人達は、この時期に何を釣っているのか気になって、
誰かの棹が魚を釣り上げるのを待っていましたが、誰も魚を釣り上げません。
段々イライラしてきて、松葉博雄の奥さんと、片山正喜さんが、
車の方で待っていることが、気になってきました。
それでも魚はまだ釣り上がりません。
ため息が出るような、綺麗な澄んだ透明な海です。
遙か久高島に向かって、祖先礼拝のお墓のような塔があります。
ウィキペディアによると、
「久高島は海の彼方の異界ニライカナイにつながる聖地であり、
穀物がニライカナイからもたらされたといわれている。
『琉球国由来記』(1713年)によると、
島の東海岸にある伊敷(イシキ)浜に流れ着いた
壷の中に五穀の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされる。
島の伝承では流れ着いたのは壷ではなく瓢箪であり、
それをアカッチュミとシマリバという名の夫婦が拾ったともいう。」
沖縄では、海岸に、各地でこのような、久高島礼拝思想があります。
伊計島の集落を歩いたお陰で、
今回も、車で通りすぎていたら知ることが出来ない、
沖縄の美しい景色や、文化に、触れることができました。
あれ、こんな所に大根が。と、思ったのは、切り干し大根用の天日干しです。
かなり太いまま、ダイナミックな削り方です。
もっともっと、より深く、伊計島の集落を回りたかったのですが、
車が入りにくいことと、そろそろ、お腹が空いてきたので、これで終了です。
次は、伊計ビーチの方向に向かいます。
伊計ビーチは、ビーチに入るためには、
清掃料という名目で、お金を払うことになります。
1人400円です。このお金を徴収しているのは、伊計島総合開発株式会社です。
本来、海岸線は国のもので、国民には浜辺に入る、入浜権があります。
個人や法人が、浜辺に入る、
入場制限をして、お金を取ってはいけません。
入り口のおじさんに、中で食事をしたいんですけど、と、
入場料が要るかどうかを尋ねてみました。
すると、おじさんは、中で食事をするのなら、
入場料は要らないと、嬉しい判断でした。
子供達をつれて、25年くらい前に、この伊計ビーチに、
海水浴に来たことがあります。
その時は、入場料は取られませんでした。その時の思い出は、
伊計ビーチに来ていた人の中で、深みにはまって溺れて、
水死してしまった事故があったことです。
2015年1月24日(土)