親鸞 銅像:沖縄のノースショア(砂辺:宮城海岸)で、親鸞の銅像が建てられました。聖人御生誕800年、立教開宗750年記念の為です。寄付したのは、株式会社三豊製作所の沼田恵範会長と、 沼田智秀社長です。
親鸞 銅像:沖縄のノースショア(砂辺:宮城海岸)で、親鸞の銅像が建てられました。寄付したのは、株式会社三豊製作所の沼田恵範会長と、沼田智秀社長です。聖人御生誕800年、立教開宗750年記念の為です。親鸞聖人の銅像の下には、CHRIST 耶蘇 JESUSの標記がありました。 第128回沖縄訪問(14)
親鸞の銅像は、聖人御生誕800年、
立教開宗750年記念を祝して建てられました。
沖縄のノースショア(砂辺:宮城海岸)で、
ウィンドーサフィンを見て、
恩納村に入ってくると、
またもやハワイのリゾート地のような景色になります。
恩納村立博物館の前を走って、前兼久に戻ります。
東日本大震災が、3月11日に起きた後は、
沖縄恩納村にも、津波警報が出ました。
前兼久の皆さん方も、気象庁の警報に基づき、
高台に避難したそうです。
海辺は、景色にはいいんですが、
震災後の津波には、注意が必要です。
スマトラ沖の大津波があった時も、
ムーンビーチの海岸は、観光客が減った経験があります。
「金城釣り具店」に戻って一服です。
さっき買ったシフォンケーキをみんなで分けます。
松葉博雄は甘い物は食べません。見ているだけです。
シフォンケーキって、何だと思いますか?
調べてみると、
アメリカの保険外交員のハリー・ベーカーと言う人が考案し、
食感が絹織物(シフォン)のように軽いことから、
シフォンケーキと呼んでいるそうです。
このレシピは、1927年から1948年まで公開されず、
謎となっていたようです。
金城釣り具店で話が弾んだあと、
まだ日は昇り、夕方までには時間があり、
これでお開きには早すぎるので、
片山正喜さんと2人で、読谷の浜に行くことになりました。
松葉博雄の奥さんと、
金城千賀子さんの2人は、日照りに肌を焼くと、
美容に悪いので、このまま、
金城釣り具店で、お茶をしているそうです。
片山正喜さんと松葉博雄は、
読谷の浜辺に行って、
牡蠣を養殖しようという事を話しています。
沖縄で、牡蠣を養殖するとはどういうことだろうか?と思いました。
片山正喜さんが、牡蠣の養殖を考えている場所は、
国立公園の中の親鸞聖人の銅像があるところです。
思うとおりになるか、行って確かめてみます。
片山正喜さんの話では、
沖縄の東海岸、西海岸で、泳いでみても、
牡蠣が生息している場所が、ほんのわずかで、
その牡蠣も、岩牡蠣で、前回獲りに行ったように、空豆くらいのサイズです。
牡蠣が大きくなれないのは、
何らかの理由があって、大きくなれるように、
何らかの工夫をすれば、牡蠣は、
もっと大きくなるのではないかと仮説しています。
親鸞聖人御生誕800年、
立教開宗750年記念のための、
銅像が建っています。
寄付したのは、株式会社三豊製作所の沼田恵範会長と、
沼田智秀社長です。(昭和55年(1980年)当時)
沖縄を回ってみても、本土に、
あちらこちらにあるような、
親鸞聖人像や、鐘搗き堂はめったにありません。
沖縄の法事でも、お寺から、
お坊さんが招かれることは、あまりありません。
鐘をついてみます。
鐘撞き棒を少しずつ揺らして、
勢いをつけ、思い切り鐘楼に鐘撞き棒を叩きつけると、
重い鐘の音が、周りに響き渡ります。
株式会社 三豊(ミツトヨ)は、
創始者である沼田恵範会長が、
旧海軍が開発できなかった、
マイクロメーターに着目し、
その後、マイクロメーターは陸軍に採用され急成長しました。
沼田恵範会長は、仏教の伝道にも尽力されています。
色々推測してみれば、沖縄の浜辺に、
親鸞聖人の像が、なぜ建つのか、少し分かってきました。
ところが、浜辺を降りて見ると、
「耶蘇」の文字が、コンクリートブロックに大きく書かれています。
耶蘇とは、イエスキリストの事であり、
フランシスコザビエルの一派である、
イエズス会です。
国立公園の浜辺に、上の段は親鸞聖人で、
下の段はイエズス会とは、妙な取り合わせです。
あれこれ考えながら、
この後、浜辺に出て、
この辺りに牡蠣がいるかどうか見てみます。
海草のホンダワラが、
浜辺に流れ着いています。
片山正喜さんの考えは鋭いです。
牡蠣が付着しているかもしれません。探してみます。
2011年4月12日(火)