東村立「山と水の生活博物館」 第74回沖縄訪問(5)

【第74回沖縄訪問:沖縄県恩納村 朝日会、海ぶどう、東村ヤンバルツアー、慶良間ホエールウォチング その5】

東村のツツジ祭りを見た後は、今度は東村のスタープロゴルファー宮里藍の写真展を、東村立山と水の生活博物館で行っているので行ってきました。

東村のスタープロゴルファー宮里藍の写真展

このあたりでは宮里藍ちゃんは大スターです。

東村立山と水の生活博物館

館内での写真撮影は禁止なので、中の様子は撮れませんでしたが、案内係の方は宮里藍ちゃんのすぐ近くのお家に住んでいるとのことで、とても詳しい説明を聞くことができました。オリンピックアジア大会で金メダルをとった時のメダルも展示されていました。3歳の時からの始めたゴルフの成長過程をずっと展示されています。写真を撮れなかったのが残念です。

東村のスタープロゴルファー宮里藍の写真展

宮里藍ちゃんにメッセージを書いて応援するようにお願いされたので、メッセージを書きました。最近の宮里藍ちゃんのサインには、「Ai54」と、書くようにしているそうです。54という数字は、目指すスコアのことです。もちろんインとアウトの合計で、松葉博雄のように、インで54、アウトで54という意味ではありません。一般に、ゴルフの初心者の目標スコアは、まず100を切ることから始まります。それが、54まで縮むということは、100より46も縮むことになります。 すごいなぁ。

 


 

この東村立山と水の生活博物館が建っているところは、元は個人所有の久高家が、村に寄付されたことによって、博物館が出来ました。

このあたりは、かつては、大変苦しい生活をしている様子が紹介されていました。ドルの時代、山に入って木を切る仕事をすれば、一日3ドルもらえたそうです。

一日3ドルは今のお金にすると幾らでしょうか?5セントか10セントで、だいたい100円から200円の物が買えたようですから、今の2006年なら、一日5千円ぐらいでしょうか。現金収入が大変少なかった時に、山に入って裸足で、木を切るという仕事を男性も女性もしたそうです。

原生林の様子

山で切った木は、柱に使う支柱や、たきぎ、建築用の木材として、名護や那覇から船で買い付けに来ていた仲介者に売られ、村の生活を支えていたようです。今は、こんなきつい仕事をする人はいません。国有林にも指定され、伐採もしていません。

原生林の様子

山と水の生活博物館のすぐそばの様子を写真に写してみました。原生林の様子がわかるでしょうか。 右の大きなかぶらは、サキシマスオウノキの切り株です。こんな大きな木がこの辺りには、たくさんあったようです。

東村立山と水の生活博物館

山と水の生活博物館のすぐそばに、野生のイノシシ「りゅう」くんが檻に入れられていました。

東村立山と水の生活博物館

かつてはこのようなリュウキュウイノシシが、ここ東村にはたくさんいたようです。りゅうくんは小さいときから飼われていたのか、人になついて、えさをおねだりしているようです。

東村立山と水の生活博物館

山と水の生活博物館の敷地の中には、バナナの木が植わってバナナの実がなっていました。

 


 

山と水の生活博物館を出た後は、この近くに宮里藍ちゃんが行った小中学校があるので、そこに行ってみました。小中学校のすぐ前は海です。東村立東小学校と東中学校です。ドルの時代は、どんな校舎だったのでしょうか。今は本州のどこにでもある小中学校のような、鉄筋コンクリート造りの平均的な姿の小中学校でした。

宮里藍が行った小中学校

唯一、特徴的なのは、沖縄風の赤い瓦と白い漆喰が屋上の屋根に使われていることです。

すぐ前は海

小中学校のすぐ前は海です。この海はさきほど村民の森から見た平良湾です。

宮里藍が行った小中学校

この後は、パイナップル畑を見て、福地ダム、福上湖に回ります。

宮里藍が行った小中学校

東村はパイナップルの村と言われるほど、パイナップル畑が多く広がっています。 

2006年3月7日(火)

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