ホテルモントレ沖縄が建って、恩納村前兼久の風景も、どんどん変わってきています。
恩納村冨着の丘から見る風景も、ホテルモントレ沖縄が建って、資産価値が減少しています。 第145回沖縄訪問(7)
朝日会の4代目の会長は、金城勝秀さんです。金城勝秀さんは、朝日会の活性化のために、自分の仕事が終わると、毎日のように朝日会に来て、準備と後片付けに骨折りしていただいています。
朝日会の会長の仕事は、何の給付もありません。
しかし、上手くいかなければ、あれこれ注文が、年長者から出てきます。上手くいっても、面と向かって褒められることも少ないようです。
プライベートな集まりなので、どこからも補助金や援助金は出ません。全て、朝日会の皆さんから集めたお金で、朝日会の運営はされています。
朝日会では、明日の餅つき大会の準備を、片山正喜さんが引き受けています。
「我以外皆我師也」これは、小説家の吉川英治著「宮本武蔵」の中の一節に出てくる言葉です。
自分以外の一切のものが、自分の師になり教えてくれる存在だという意味です。
沖縄の漁港には、あちらこちらで、夜になったら地域の人が集まって、飲み会を開く場所があります。
公共の場所としては、各地区には公民館があり、公民館で集会がよく開かれています。
朝日会の台所には、この時期に採れるイモが、誰か持ってきたのか、置いてあります。
このイモを、皮を剥いて小さく切って、煮込んで食べます。
南洋諸島で食べられているイモは、タロイモと言われるイモですが、沖縄のイモも、タロイモと親戚かもしれません。
餅つきの準備は、餅米を洗って、一晩水につけておくという仕事です。餅米は5kgです。
5kg洗って、水につけておきました。これで大丈夫です。
冨着信常さんの家に寄ってみます。
冨着信常さんの家に来るのは久しぶりですが、玄関や庭の様子が、かなり変わっていました。
朝日会の皆さんは、漁業と農業以外にも、建設工事関係のお仕事をしている人が多く、家の改築や、模様替えなどは、友達に一声掛ければ、ボランティアで手伝ってくれています。
中庭のバナナには、今、小さなバナナの房がついています。冬バナナなので、大きな成長はありません。
大きな立派なバナナは、夏場に出来ます。
しかし、夏には台風に遭遇して、倒れてしまうバナナも、多くあります。
このあと片山正喜さんと松葉博雄は、買い物に行きます。ベランダに付けている旗を留める金具を買いに行きます。
前回、吹き流しを付けると、たった一晩で飛んでしまったので、今度はどうするかをよく考えてからやります。
金具と、海の潮で錆びてしまった室外機を磨いて、ペイントで塗るための道具を買います。
買い物が終わったら、ホテルに戻ります。ちょうど奥さんが帰ってきました。
タバタに買い物に行った後は、今夜、手打ちそばをご馳走になる予定の銅谷賢治さんの家に、何かお手伝い出来ることはないか、尋ねるために寄ってみました。
銅谷賢治さんは恩納村に開校された、沖縄科学技術大学院大学の教授をしています。
専門はロボットの人工頭脳の研究のようです。
以前から、銅谷賢治さんのお宅は、その眺望は素晴らしい眺望だと思っていましたが、タイガービーチに、ホテルモントレ沖縄が出来てから、眺望はすっかり変わってしまいました。
まるで、映画館や美術館の中で鑑賞している席のすぐ前に、大きな関取のような巨体の人が立って、鑑賞の邪魔をしているような、他人迷惑な建物です。
ここは海抜31メートルです。津波の警報、注意報が発令されたら速やかに避難するようにとの表示がありました。
銅谷賢治さんのお家に来たついでに、以前の片山正喜さんが拓いた畑の、その後の様子を見てきました。
以前、片山正喜さんが銅谷賢治さん宅の隣に住んでいた時、道路を隔てた向かいの土地を開拓して、野菜畑を作っていた土地は、もう元の原野に戻ってしまって、進入口すらどこなのか分からない状態になっています。
松葉博雄も、片山正喜さんの畑の一隅に、野菜の種を蒔いて、収穫していたことがあります。今となっては懐かしい思い出です。
2013年12月31日(火)