伊平屋島は第一尚氏の出生地 稲作で兵を養い近隣を浸食。伊平屋島訪問記(7)
伊平屋島(いへやじま)では、山から水が溢れています。川には水が満ちています。水田には稲穂が波をうっています。 第138回沖縄訪問(10)
沖縄で水田耕作が出来るのは、水に恵まれている所だけです。
稲作が出来れば、兵を養うことが出来ます。兵を養えば、近隣を浸食する事が出来ます。
こうして考えれば、伊平屋島は第一尚氏、伊是名島は第二尚氏の出身地であったことも頷けます。
民宿の人達が、お客さんの朝ご飯の用意をしている、その作業の音で目が覚めました。
民宿の朝です。伊平屋島の朝です。6時半頃から人の気配がして、7時回ると片山正喜さんがドアを叩いて「起き
ろ起きろ」と、朝ご飯なので起こしに来てくれました。
食堂に行きます。
朝ご飯は鯖を焼いたものと、ベーコンを炒めたもの、あと味噌汁、漬物2切れ、何という寂しい食事でしょうか。
民宿野甫には、まかないに女性がいなくて、おじさん2人が、献立を考えているので、難しい料理はしていないようです。
流行る民宿のイメージは、女将さんがお客さんの世話をして、美味しい料理を作り、愛想を言って、又来たいな
ぁと、リピート客を育てます。
亭主は、仕入れや裏方の仕事をして、あまりお客さんの前には出ません。
むっつりしながら、気が向いたら夜になるとお酒を飲み始め、客との話がボツボツ弾み、興に乗ってくると三線
でも弾いて、哀愁のある歌を聞かせてくれます。
これが、松葉博雄が抱く、正しい民宿のイメージです。
今日は、本島の一番北側にある灯台、その近くの無蔵水の辺りに行きます。
あまり人の来ない浜辺です。8時前には出発です。
離島の野甫を繋ぐ大橋を渡ると、向こうは島尻です。
その向かいに大きな島が見えるのは、阿波岳です。
島尻を通って、これから北の方向に向かいます。
自然のままの、手を加えられていない素晴らしい景色が続いています。
島尻から我喜屋、前泊へと、どんどん進んでいます。
賀陽山は、島尻で一番高い山です。
そこから我喜屋の集落が広がり、次に前泊の高い山の腰岳へとつながって行きます。
神社がありました。お詣りします。
伊平屋島には、島尻と我喜屋、前泊、田名、野甫、の5つの地区があります。
伊平屋島には、大和文化の神社が多く見受けられます。
鳥居があって、一段高いところまで石段が続き、その先に神社があります。
この様式は、縄の神を祀る御嶽とは、様式が違います。
片山正喜さんと、何故ここに神社が多いのか考えてみました。
推論では、倭寇の影響ではないかと思います。
大和から、中国へ船を出しているときの中継地が沖縄で、多くの倭寇の船が水や食べ物の補給、船の修理などで
沖縄の伊平屋島にもやって来て、大和の文化を伝えたのではないかと考えます。
そうすると、伊平屋島にとってみると、沖縄では得られない、新しい武器が手に入り、それがこの島から、統一
王朝尚氏を生む下地になったのではないかと、考えました。
一旦山に上って高いところから見てみます。我喜屋ダムという、島唯一のダムでした。
伊平屋島は、伊是名島と同じ様に、水田が多くあります。
沖縄で水田耕作が出来るのは、水に恵まれている所だけです。
稲作が出来れば、兵を養うことが出来ます。兵を養えば、近隣を浸食する事が出来ます。
こうして考えれば、伊平屋島は第一尚氏、伊是名島は第二尚氏の出身地であったことも頷けます。
2012年7月14日(土)