沖縄糸満市 具志川城跡 国指定文化財 海岸線上に建つ岸壁の城  琉球王国時代に築かれた防衛拠点

投稿No:10139

国指定文化財 海岸線上に建つ岸壁の城 具志川城跡 琉球王国時代に築かれた防衛拠点

糸満市に来たので

具志川城跡へ行ってみることにしました。

具志川城跡へ行く道は

気持ちの良い田舎道です。

淡路島に住んでいると、

田舎道を通る機会は多いので

自然豊かな風景には慣れ親しんでいます。

しかし、沖縄の田舎道は何かが違うと感じます。

その違いが何なのかは一言では表せませんが、

風景や空気感が淡路島とはまるで違い、

沖縄には沖縄の、

特別な心地よさがあります。

沖縄の田舎道では、

時がゆっくりと流れているように感じます。

さとうきび畑のさとうきびたちが

風に吹かれて揺れています。

こうして沖縄の田舎道を走っていると

忙しい日常を忘れられるような気がします。

淡路島の田舎道でも

四季折々の風景を楽しめますが、

沖縄の田舎道には南国ならではの

独特の空気感があるのです。

気持ちの良いドライブを楽しんで、

具志川城跡に到着しました。

久米島にも同じ名前の具志川城があります。

自分のブログを調べてみると

以前に、久米島の具志川城を訪れていました。

この城跡は、かつて琉球王国時代に

築かれた防衛拠点であり、

自然の地形を巧みに利用した構造に、

当時の人々の知恵と工夫を感じます。

小規模ながら見どころ多く

眺めも良い美しい城跡です。

海に突出した標高約17mの海食崖に築かれていて、

城門付近以外は三方が断崖となっている

特異な立地となっています。

これは侵略者からの防御を意識した地形で

自然の地形を巧みに利用しています。

具志川城の眼下には、

太平洋が広がっています。

この立地は、まさに防御に適した要害そのものです。

正確な居城年代は不明ですが、

伝承によると、久米島具志川城の

按司(あじ:領主的豪族)が久米島を追われて

喜屋武に逃げ延び、この地に城を

築いたのが具志川城跡だと言われています。

出土された遺物から

13世紀~15世紀中の

短い間のみ使用されていた城のようです。

城内には地元で「ヒーフチミー」と

呼ばれる海に通じる穴があります。

内部は石灰岩の空洞になっていて

海へと通じています。

伝承によるとグスク当時、荷物の上げ下ろしや

有事の時の非難に使われていたそうです。

岬の郭を囲んだ石垣は、

東側の石垣は狭く低く、

西側の石垣では広く高く築かれ、

上には見張りの為の武者走りが見られます。

西側石垣は、崖下に大岩と城の裏口があるため

見張りを強固するために

石垣を高く広く築いたと思われています。

石積技術も高度で、

崖の地形に合わせてU字型に

野面の石垣が積まれています。

現在の石工の話では、

「石垣外面の嚙み合わせが綺麗だ。

外から積んだに違いない」とのことです。

当時、崖に足場を組んで積み上げたのでしょうか。

琉球の城は内地の城とは異なり、

石積みを主体とした造りが特徴です。

これにより、時代を経てもその遺構が崩れにくく、

現在まで多くの城跡が残っているのです。

沖縄は交易の中継地点として繁栄する一方で、

他国や他地域からの侵略を受けることもありました。

防衛拠点としての城は、

地域の安全を確保するために

不可欠なものだったようです。

訪れた際の静けさと

雄大な景観が、歴史の重みと

自然の美しさを同時に感じさせてくれました。

具志川城跡は観光地として

決して派手ではありませんが

沖縄の歴史や文化への理解がより深まります。

こうして、歴史に触れるのも

沖縄を楽しむ手段の一つです。

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