恩納村前兼久地区の鎮守の祠で 年始会には戸主が参加します 水の神 海の神 久高島の神に礼拝 第177回沖縄訪問(10)年始

投稿No:9248

恩納村の年始会 村の鎮守の祠に戸主が参加します 第177回沖縄訪問(10)

恩納村前兼久 恒例の年始会 

10時から前兼久の年始会です。

毎年の行事なので、

前兼久の鎮守へお詣りに行ってきます。

前兼久の鎮守に戸主の皆さんたちが集まりました。

前兼久の集落では、海の神様、水の神様、

久高島の神様に、礼拝します。

戸主達がお詣りに行く風習が守られています。

松葉博雄は前兼久に住民票はありませんが、

前兼久の皆さんから住民として

受け入れられているので、

お詣りに参加しています。

前兼久地域の鎮守の神様の敷地は、気の毒なほど狭いのです。

その原因は、鎮守の祠を登記してなかったからだそうです。

昔からの風習で、登記しなくても

神様の敷地だと言う暗黙の了解があったからです。

しかし、誰かが先に登記されたら、対抗できません。

鎮守の神社に 一家の戸主が代表でお詣りです

一家を代表して、その家の一年間の

無病息災をご先祖様やよろずの神様にお祈りします。

この祠は、普段は扉が閉まっていますが、

夏のお盆にあるエイサーの時にも開かれます。

ここでも前兼久村の皆さんは、

祠の前に膝まづいて、区長さんの礼拝について、

鎮守の神様に、今年の家内安全をお祈りします。

恩納村前兼久 水の神様に礼拝

お詣りの始めは、水の神様にお詣りしました。

昔、まだ上水道が前兼久に無かった頃は、

山から流れてくる水や地下から湧き出る水は、

住民の命の糧でした。

上水道が完備されても、

昔の前兼久の源泉にお詣りを続けているのです。

前兼久の水の神様にお詣りです。

昔使っていた井戸です。

水の神様にお詣りをします。

昔はここの水をつかって、

前兼久の集落の水が供給されていたそうです。

今は、各家に水道が配管されていますが、

昔の沖縄では、水汲みは子供や、

女性の仕事だったそうです。

重い水を集落の井戸まで汲みにいっていたのです。

恩納村前兼久 渓流の水の神様へ

次は、渓流から流れてくる途中の水のくみ場です。

こちらでも水の神様にお詣りをします。

丘の上に水源があって、

そこから水が流れて来ています。

井戸の水だけでなく、

川の水も命を繋ぐ水だったのです。

恩納村前兼久 お供えのお米を戸主へ

再び鎮守に戻ると、

神様にお供えしたお米をお下がりとして、

皆さん家に持ち帰ります。

持ち帰ったお米を家族の頭の上に乗せると、

お米に不自由しないという伝説があります。

ビニール袋に小分けされたお米をいただきました。

全員が鎮守の敷地の中に入り切れず、

通路に溢れるほどの沢山の人が集まっています。

鎮守の神様にお供えをしていたお米の粒を、

全員が少しずつ分けていただきます。

このお米を混ぜてご飯を炊くと、ご利益があるようです。

ここに来ている人達は、一家の戸主であるために、

皆さん家の代表であり、責任者でもあるので、

どちらかと言えば、年長の方が多く見受けられます。

前兼久の公民館の向かいにある、

鎮守の神様に皆さん集まって、お祈りをすると、

その後は、奉納したお米の分配があります。

二箇所の水の神様にお詣りした後、

もう一度前兼久の鎮守の森に集まって、

そこで神様にお供えしたお下がりの

お米を頂いて今日はお詣りが終わりました。 

前兼久村の伝統行事を見ていると、

沖縄には、まだまだ地元ならではの血縁関係が強く残り、

ご先祖様や年長者を大切にする

儒教思想が残っていることを感じました。

この鎮守での参拝は、年始の交歓会も兼ねています。

一箇所で沢山の人に新年のお慶びを言うことができます。

伝統行事には、根底には生活のために

便利なように長い年月をかけて考えられた、

知恵のようなものがあることがわかりました。

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2022年1月23日(日)


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