「創業は易く 守成は難し」唐の太宗は側近に「帝王の業は創業と守成は、どちらが難しいか」と尋ねました。太宗は、「創業の難事は過去のこと、今は守成の難事にあたろう」社長メッセージ・社長の言葉(給与袋に添えて):(2015年3月)

創業は易く 守成は難し」  唐の太宗は側近に「帝王の業は創業と守成は、どちらが難しいか」と尋ねました。太宗は、「創業の難事は過去のこと、今は守成の難事にあたろう」社長メッセージ・社長の言葉

「創業は易く 守成は難し」

給料袋に添えて3

給料袋に添えて3

 

創業は易く 守成は難し

唐の太宗は側近に

「帝王の業は創業と守成は、どちらが難しいか」と尋ねました。

側近達は、

「創業が難しい」「守成が難しい」と、

二つの意見になりました。

これに対して太宗は、

「創業の難事は過去のこと、

今は守成の難事にあたろう」と答えたそうです。

企業においても、創業よりも、

企業の存続の方が、将来に続く課題なので、

難事であると思います。

企業の守成を許すのは顧客です。

顧客満足とイノベーションにより、

私達の職場と組織を守っていきましょう。

唐の太宗

太宗(たいそう)は、

唐朝の第2代皇帝世民(せいみん)。

高祖李淵の次男で、李淵と共に唐の創建者とされる。

末の混乱期に李淵と共に太原で挙兵し、

長安を都と定めて唐を建国した。

太宗は主に軍を率いて各地を転戦して群雄を平定し、

626年にクーデターの玄武門の変にて

皇太子の李建成を打倒して皇帝に即位し、

群雄勢力を平定して天下を統一した。

優れた政治力を見せ、

広い人材登用で官制を整えるなど諸制度を整えて

唐朝の基盤を確立し、

貞観の治と呼ばれる太平の世を築いた。

対外的には、東突厥を撃破して

西北の遊牧民の首長から天可汗中国語版の称号を贈られた[2]

騎兵戦術を使った武力において卓越し、

文治にも力を入れるなど文武の徳を備え、

中国史上有数の名君の一人と称えられる[3]

注)Wikipedia 唐の太宗 より転載

まとめ

企業においても、創業よりも、企業の存続の方が、

将来に続く課題なので、難事であると思います。

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2015(平成27)年3月25日 社長 松葉博雄

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