弘法大師(お大師様)の遺したものは、四国八十八箇所霊場巡礼と、讃岐うどんがありました。
讃岐に来てみれば、弘法大師(お大師様)の遺したものは、四国八十八箇所霊場巡礼と、讃岐うどんがありました。結願所の大窪寺にお参りしました。
四国八十八カ所霊場、
最後の結願所である
大窪寺(おおくぼじ)に参拝に行きました。
大窪寺(おおくぼじ)は、
山の高いところにあります。
本来歩いてお詣りする場所ですが、
今日は車で、参拝しています。
では、なぜ、四国八十八箇所の霊場で、
お遍路するように、なったのでしょうか?
八月の、酷暑の日でも、二月の厳しい冬でも、
お遍路さんは、歩き続けるのでしょうか?
問題意識が気持ちの中に芽生え、
あれこれと調べてみました。
道すがら、徒歩で、白装束で、黙々と歩んで、
汗を拭きながら、途中立ち止まりながら、
大窪寺へ続く、険しい山道を、ひとりで(同行二人)、
「犀の角のように、ただひとり歩め
(スッタニパータ:ブッダの言葉より)」
を、実践しているようです。
大窪寺は、四国八十八箇所霊場の
第八十八番札所であり、
納経印は「結願所」となっています。
医王山(いおうざん)
遍照光院(へんしょうこういん) 大窪寺 と号します。
「空海」として広く知られている、
弘法大師は、高野山を拠点に、
広く密教の教えを多くの人々に導きました。
真言宗を開祖で、遍路で行われる参拝作法は
密教真言宗のものを基本としているそうです。
空海(弘法大師)は讃岐の国(香川県)の出身で、
青年期には、四国の山中海岸、
太龍岳、室戸岬、石鎚山などで
山道修行を行うことで
虚空蔵求聞持法の智恵を得たとされ、
このことが四国遍路の基礎の一つとなったそうです。
司馬遼太郎さんの、
「空海の風景〈上〉〈下〉」を、
読んだことを思い出します。
内閣総理大臣の菅 直人さんも、
四国でお遍路さんを続けて、
総理大臣に就任したときには、
五十三番目まで、お参りが進んでいるそうです。
大窪寺に、参拝し、
ここでも、安産のお札を頂きました。
お札と合わせて、木綿の日本手ぬぐいを、
お守りに、頭にハチマキをするつもりで、
一本300円を買いました。
大窪寺の空気は、空海の建立した、
高野山と、雰囲気がにています。
現代では「遍路」といえば、
四国での巡礼すること”
を指す言葉として使われていますが、
この原形は昔から四国にあった、
海辺を修行する”土地やその道”
を指す「辺地(今昔物語より)」・
「辺路(梁塵秘抄(りょうじんひしょう)より)」
が語源ではないかと考えられているそうです。
大窪寺の向いには、お遍路さんが立ち寄る、
茶屋があり、ここでお昼ご飯を頂く事にしました。
「松原うどん」で、見たように、
讃岐うどんの、抱き合わせは、おでんです。
さすがに、仏教に関係した、お寺参りとなると、
肉うどんは遠慮して、販売していません。
おでんには、すじ肉もありません。
肉気のものはありませんが、
油揚げがあったので、
きつねうどんをお願いしました。
大窪寺の前で、競争は独占状態にあるので、
讃岐うどんの、だしの味については、
コメントできません。
冨田さんの、回顧談では、
、大窪寺にお参りに来た、かなり前の話では、
このお茶屋さんも、本当に小屋のような時代があって、
冬は寒くて、閉店していて、春になったら、
開店していた時代もあったようです。
2010年8月12日(木)