清明祭(シーミー)で沖縄文化に触れる 第85回沖縄訪問(2)
清明祭(シーミー)のお墓参りに入れてもらいました。清明祭(シーミー)で、沖縄の伝統文化に触れています。
【清明祭(シーミー)で、沖縄の伝統行事と伝統的文化に触れて、ますます沖縄の心が好きになりました その2】
清明祭(シーミー)の日です。
今日は小雨模様で、曇りです。いつものように、沖縄レンタカーで車を借ります。前回の第84回沖縄訪問のとき、沖縄レンタカーに車を返す直前に、突然のエンジンストップが起きて、道路で立ち往生してしまいました。
レンタカーが途中でエンジンストップするようなことがあっては、人命に関わることでもあり、交通安全上、再発防止が施されなければなりません。このような背景があって、今日は、支配人の岩本さんが謝りに出てきました。でも、同じ車でした。今回は大丈夫でしょうか?安全を信じて、同じ車に乗り、ハイウェイを通って、恩納村に向かいます。
恩納村に入って、前兼久に着いてみると、村に人影がありません。「さぁ、どうしたのかなぁ」と思って、金城正則さんに電話して、尋ねてみました。原因が分かりました。前兼久の村の多くの人達は、今日は、ご先祖様のお墓参りに行っています。
今日は、「清明祭」という、祖先を祭る日でした。沖縄では、「シーミー」と言い、 太陰暦の清明(せいめい)の節に行われる、先祖供養の行事です。
沖縄のお墓は、本土のお墓とは少し違い、とても大きなお墓です。
祖先も男子中心になっています。
ここに集まって、各家が料理を持ち合って、お供えし、みんなでご先祖様の前でお参りをして、その後、食事をするのです。
沖縄地方前兼久は、今朝は大雨でした。どうなるのかと思っていたら、午後から雨が止んで、陽が差してきましたので、みんな一安心です。
ブルーシートのテントをフレームを組んだ屋根に張り、陽射しをよけて、お墓の前で、シートを敷きます。
各家から集まった料理を、ご先祖様にお供えをした後は、お下がりを頂きます。
松葉博雄と奥さんは、金城家の門中に入り、ご先祖様にご挨拶をして、門中の長老に許されて、今日の清明祭に参加しています。
お料理は、魚料理、かまぼこ、炊き込みご飯、魚のフライ、魚の煮物などを、重箱に包んでいます。
たくさんの料理が集まっています。
お正月に用意するお節料理のような雰囲気が伝わってきます。
お節料理の場合も、正月3が日は、料理を作らなくても、重箱のお節料理を食べていました。
清明祭は、旧暦の3月の吉日を選んで行われます。
もともとは、中国の暦法にある二十四節季の一つ「清明」の季節に行われます。門中(父系の血縁集団)墓の前で、メンバーの各家族の皆さんが、共同してお墓参りを行います。
各家で作った供え物を墓前にそなえ、一緒に食べる慣習です。
毎年1年間を通して、担当が決まると、そこのお家では、門中(一族)のお世話をすることになります。特に大変なのは、奥さん方です。
各家から集まる家庭料理は、やはり、品評会のように、味比べをされると思えば、それは、主婦にとっては、大変プレッシャーとなり、がんばらざるを得ません。
一方、男性は、設営とか、門中を結束するように、働きかけを、呼びかけをして、まとめていく、リーダーシップの役割があります。
前兼久のお家には、かなりの友人が出来たので、「松葉さん、こちらに寄って、食べて行きなさい」と、あちらこちらで声が掛かりました。
山城善一さんの門中にも、寄せてもらいました。先ほど、金城家で頂いたご馳走で、もうお腹は一杯ですが、少し味見をさせてもらいました。門中を支えるための、財源は、会費のような負担があります。男子中心なので、門中会費を払うのは、男性だけです。中国のお墓参りや、廟で見たことがあります。それは、紙で作ったお金を祖先のために買ってきて、燃やして、あの世にお金を送る風習です。
2007年4月15日(日)以前、台湾の旅行のとき、孔子の廟で紙銭を焼いている光景を見ました。そうすると、このような文化は、中国系の文化と言えます。
一方、お墓の前で、門中が集まって、料理を持ち寄って、お供えのあと、お下がりを食べる風習は、中国系よりも、大和系の文化のようです。