お彼岸にブッタを想う ブッダの母マーヤ(摩耶)夫人を祀る 摩耶山天上寺へお彼岸のお詣りです
投稿No:8392
お彼岸にブッタを想う ブッダの母マーヤ(摩耶)夫人を祀る 摩耶山天上寺へお彼岸のお詣りです ブッダの生涯とその思想に関する私の知識のおさらいをしておきます。【その8】
ブッタの生涯 おさらい
インドでのブッダの遺跡を巡礼しました。
簡単にブッダの生涯とその思想に関する
私の知識のおさらいをしておきます。
仏教の始祖であるブッダを理解することになります。
どの宗派、どの教団でも、一応仏教であれば、
ブッダが始祖であることは認めています。
ブッダが説いた初期の原始仏教から何百年、
あるいは二千年もの歳月を経て、
どんどん原始仏教から考えが発展していく中で、
もともとのブッダの思想さえもなんとなく消えていきそうに見えます。
そこで、おさらいをしてみたいと思います。
子供の頃から、仏壇の前にお坊さんが来て、
何かわけの分からない意味不明のお経を上げていました。
正座をして聞いていると、痺れが切れてきて、
早く終わることのみを願っていました。
このような育ち方なので、
今までありがたいと言われるお経の意味も深く理解することなく
お経とは、痺れとの闘いであると理解していました。
そのうち、お経の中身について
少し本で読むことで理解ができることがありました。
そうなると、あの長いお経の意味は
いったい何なんだろうかと思ってしまいました。
そこで、少しずつ本を読んで得た知識をこれから整理してみます。
私の理解では、
仏教というのは ブッタ(仏陀)の教えのことです。
お釈迦さまは、今から約2500年ほど前に実在した方です。
ゴータマ・シッダールタが本名です。
ブッダ(Buddaha)とは「目覚める」
という動詞の過去分詞形で、
広く「目覚めた人」「悟った人」を意味します。
広い意味では、悟った人すべてを意味する一般名詞です。
この仏陀が省略されて「仏」となり、
日本語では「ほとけ」と読まれるようになりました。
ブッダは、シャカ族の王である
シュッド-ダナと王女であるマーヤ夫人の間に、
シャカ族の王子として、
4月8日にルンビニーという所でお生まれになりました。(降誕)
そこで、4月8日は「花祭り」となり、
仏教ではブッダのお誕生日のお祝いをします。
キリスト教であれば、クリスマスのようなものです。
神戸の摩耶山は、この「マーヤ妃」からきています。
ブッダはその後、成人し、ヤショーダラーと結婚して、
子供ラーフラを儲けたのですが、
29歳の時に思うところがあり、
周りの反対を押し切って、
とうとう髪を剃って城を出て
修行生活に入ってしまったのです。(出家)
その後6年間、骨と筋になるほどの
やせ細る壮絶な苦行をなされました。(苦行)
ある時、苦行だけでは「さとり」は得られない事に気づき、
苦行から離れました。
そして、ガヤーという地の
ナイランジャナ河(尼連禅河)
をのぞむ沙羅双樹の下で深い瞑想に入り、
ついに35歳の時の
12月8日の朝にさとりを開いたのです。(成道)
そして、ブッダ(目覚めた人)と言われるようになりました。
その後、その地はブッダガヤーと言われ、
また、沙羅双樹も聖なる樹(菩提樹)
として崇められるようになりました。
それから、その覚った内容を人々に説いて導こうと決意し、
バーラーナシー郊外のムリガダ-バ(サールナート)で、
初めての説法をしました。(初転法輪)
その後は次々とお釈迦さまの下にお弟子さんが集まってきました。
教団自体も成長し、
信者も増えその信者の寄進で
あちこちにお坊さんが集う場所が出来ました。
その中でも日本の平家物語に出てくる「祇園精舎」と、
「竹林精舎」が有名です。
お釈迦さまはその後45年間も各地で教えを説き、
80歳になってふるさとをめざす 旅に出発しました。
しかし、途中で重い病にかかり、
クシナガラと言う地で亡くなりました。(入滅・涅槃)
出典 財団法人 仏教伝道協会 「仏教聖典」
ここまでのブッダの生涯については、
各宗派とも共通しています。
ブッダが仏教の始祖であり、
現在のそれぞれの宗派は、
このブッダから発展したそれぞれの教義を掲げています。
原始仏教から現代の各宗派までの
道のりと経過が分からないので、
頭がこんがらがっているのではないかと思います。
初期のオリジナルな考えをまずしっかりと理解したいと思います。
摩耶山天上寺
お彼岸に入り、
ご先祖様のお墓参りにいく季節です。
お墓が東広島市なので、遠距離にあり、
なかなか頻繁にはお墓参りが出来ていません。
そこで、広島へ行く代わりに、
六甲山にある天上寺へお参りすることにしました。
天上寺なら自宅から車で片道30分くらいでお参りが可能です。
天上寺にお参りに行くとき、
気を付けないといけないのは、
六甲山のドライブコースです。
本来は産業道路ではありません。
しかし、西宮北インターに入るには、
六甲山のドライブコースを利用するトラックや、
産業用の車が途切れなく走っているので、
対向車に気を付けないと、事故が起きそうです。
摩耶山天上寺 祖先供養とお礼参り
以前に頂いたお守りを、悲願が成就できたら、
返納もしなければいけません。
お札を天上寺に返して、
お礼参りするのも、お参りの目的の一つです。
ご先祖様だけでなく、
愛犬りんりんが2008年9月21日に亡くなって、もう11年です。
摩耶山天上寺の本堂にお参りすると、ちょうど祈祷の最中でした。
大きな太鼓を叩いて、
リズミカルにお経を唱えていました。
この祈祷に便乗して、
ご先祖様やりんりんの冥福と自分自身のお願いが成就したことの
お礼を心の中で唱え続けていました。
お参りが終わると、
天上寺で頂いたおまもりをお返ししました。
9月の下旬に入って、気温はかなり下がってきました。
天上寺で受ける風は、肌寒いほどです。
天上寺は、真言宗のお寺です。
我が家の宗派は浄土真宗です。
真言宗も浄土真宗もその根本は仏教なので、
仏陀をお参りしたらいいのですが、
仏陀の本尊は宗派によってはっきりわかる場所に祀られていません。
原始仏教を詠めば、
仏教は現世利益をお願いする宗教ではありません。
自分自身の心の平穏を
修行によって形成する哲学のようなものです。
摩耶山天上寺は800mほどの高地にあるので、
下界を見ると向こうの方には、淡路島が見えます。
しかし今日は台風17号が接近しているので、
雲が厚く、淡路島は雲に隠れて見えていません。
まもなく、七五三の季節です。
天上寺でも七五三のお参りを受け付けているようです。
父母や祖父祖母そして、
その先のご先祖さまにお礼を持つ感謝の気持ちが大切です。
思えば、三人の子供たちが幼いころから
天上寺には節目節目の時にお参りに来ていました。
母・松葉登美子は、80歳の高齢の時でも、
天上寺の長い階段を自力で上って、
本堂にお参りをした思い出があります。
宗派を超えて、仏教の信徒として今日はお参り出来て、
少し気持ちが落ち着きました。
2019年9月22日(日)
摩耶山天上寺にお参り 宗教は哲学か、宗教は情観か、改めて考えてみました。
碧海寿広 入門近代仏教思想
碧海寿広書「入門 近代仏教思想」によれば、
近角常観(ちかずみ じょうかん)氏は
、仏教の歴史とは、
欲望にまみれた人間が自己の罪悪を自覚し、
そして仏に出会うことで救われるという
体験の繰り返しであると指摘しています。
摩耶山天上寺
今日は、私も欲望にまみれた人間ではいけないと反省し、
神戸の六甲山系にある、摩耶山天上寺に、
同じく欲望にまみれた奥さんと一緒に、
仏に会って救済をして頂きたいと思い、参詣しています。
天上寺は弘法大師が再興された由緒ある山寺です。
仏陀の聖母である摩耶夫人を祀っています。
摩耶山に登る途中、ふもとの神戸大学や、
その先にある六甲アイランドや、
右手に見える三宮の街並みを一望にできる展望台で、
しばし下界を見渡しています。
この地域だけでも、何十万の人の生活があります。
さまざまな欲望や、苦悩を抱えている人がこれだけ住んでるのかと思うと、救済する仏様も大変です。
摩耶山天上寺の正面から本堂に上がると、
険しい石段が続いています。
思い出せば、亡くなった母・松葉登美子は、
80歳近くまでこの石段を、
手すりに体を預けながら、独力で登り切っていました。
この石段を登らなくても、もう少し車で先に行けば、
摩耶山天上寺の横に車を停める場所があります。
駐車場のあたりは下界より気温が7度ほど低く、
ひんやりとした清々しい気持ちになります。
昔、インドにブッダの足跡を求めて、真理とは何かを考えながら、巡礼したことがあります。
仏教のとらえ方 天上寺で考えたこと
仏教のとらえ方は、哲学と成仏の二つ方法があります。
一つは、哲学としてとらえる方法です。
井上円了(いのうえ えんりょう)氏の教えでは、
哲学は疑いをその本領とし、
真理を明らかにすることを目標とする、究理の学です。
宗教は信じることを本領とし、
安心を得ることを目標とする安心の術です。
人間が成仏するためには、自分で仏教の真理を極め、真理を体現するための修行に努めることを必須とする考えです。
代表的なのは、華厳、天台、唯識などの「聖道門」に含まれる、
諸宗は、「知力」の宗教です。
この考え方は、哲学を宗教として考えています。
もう一つの考えは、
無知や愚鈍さのために自力を達成できない者たちのために、
他力による成仏を推奨する考えです。
代表的なのは浄土、
真宗などの「浄土門」の諸宗は、「感情」の宗教です。
宗教を哲学としてとらえるか、感情としてとらえるか
自分の周りを見てみると、
ほとんどの人が感情の宗教としてとらえられています。
つまり、宗派の教えを聞いて、
疑いもなく信じて言われたようにすがって、
信じれば救われるという考えです。
私が幼い頃、家に浄土真宗のお坊さんが来ていた時、
意味不明のお経を唱え、
それを聞いている家族は、
お経の言葉が意味不明のまま、
お経をありがたいことと受け止めて、
お坊さんにお礼を言い、頭を下げていました。
仏教への疑問
ある時期から、これはおかしい、
あの意味不明の言葉は何を言っているのだろうかと
疑問を持つようになりました。
そこで、仏教の解説書を読んでみると、宗派によって意見が違うことに気が付きます。
そうなると、もともとの仏教の原点であるブッダが、
何を伝えたかったのかを、読んでみる必要があります。
読んでみて、
その先にブッダが苦行を行ったインドに行ってみたくなり、
巡礼に行ってみました。
仏教の「悟り」とは
脳と脳に集中する、
神経系統の働きが何にも邪魔されることなく、
クリアに働いてる状態であるとしています。
そうした状態でこそ、
人間は自己の本性である「仏性」を
自分の「心」の内に見出すことができると説いています。
「煩悩」とは
欲望を発動させる体液が、腰部から流れ出し、脊髄を通って腹部や、胸部に集まってくる状態である。その「煩悩」がさらに脳の働きを阻害することで、
人間は妄念にとらわれ、苦悩に苛まれると教えています。
仏教の目的は「離苦得楽」に他ならないが、
それを達成するために必要なのは、
あくまでも「智」であると、教えています。
近代仏教思想を読んだ後に摩耶山天上寺に来てみると、
仏像の前でただただ慈悲を求めてすがっていく人たちと、
仏陀をはじめとする
これまでの宗派の開祖の考えたことを理解しようとする
参拝の方法があることに気が付きます。
はじめは、いわゆる他力本願の考えで、
ただただ仏に救いを求める方法であっても、
それぞれの人が持っている知力の要素が入ってきて、
自らが考えてみるという宗教の理解方法も必要だと思いました。
摩耶山天上寺では、いろいろな悩みや不安、
欲望に対して、個別に加持祈祷してくれます。
密教による加持祈祷は、太鼓をたたいて、
護摩を焚いて、厳粛の儀式です。
しかし、ブッダの考えを比較的早く編集した
「スッタニパータ」では、
仏陀は加持祈祷、
占いなどはしないようにと教えています。
お彼岸も終わり、これから涼しくなってきます。
秋の夜長に、
哲学の本や宗教の本を読み直してみたいと思います。
やはり、思索の時間は必要です。
摩耶山天上寺 安産祈願
掬星台に着いたら、摩耶山天上寺には、歩いて向かいます。
天上寺の石段の階段を上がるのは大変です。
脇道を選べば、
100段も続くような階段を昇らなくても済みます。
その脇道を昨年見つけたのですが、
年が変わると忘れてしまって、
奥さんと二人で迷いながらもう一度、
来た道を戻り、見つけました。
「オテル・ド・摩耶」を目指して行けば、
脇道があります。
松葉博雄は、亡くなった母が80歳のときに、
この階段を上った元気さを覚えています。
100段の階段を上ることなく、脇道から天上寺の正面入り口に着きました。
天上寺は、女人高野とも言われ、
正親町天皇勅願所の格式あるお寺です。
まずは、本堂に上がり、お線香をお供えし、
ロウソクを買って、灯明をかざし、
奥さんと二人で家内安全のお祈りを捧げました。
5月の8日には、仏母会・花会式が予定されています。
母の日の頃でしょうか。
摩耶山天上寺には、仏陀を生んだお母さんである、
マーヤ夫人をお祀りしています。
マーヤ婦人から、摩耶山の名前が付いています。
仏壇を見てみると、あれやこれや、
少し頭の整理が必要なように感じました。
なぜなら、仏陀とマーヤ婦人は分かりますが、
インドのヒンドゥー教に出てくるような像、
弘法大師、菩薩像、如来像がオンパレードに並んでいます。
神様、仏様は、多い方がいいのでしょうか?
そう思いながら、家内安全を祈願し、
脇にある大きなリンを打つと、
澄んだ音色の深い音が堂内に響き渡りました。
お詣りを済ませて、
摩耶山からの景色を見てみれば、
まだ遅咲きの桜が見えました。
摩耶山天上寺の脇道を通り、
「オテル・ド・摩耶」に向かって、来た道を戻ります。
「オテル・ド・摩耶」では、
ケーブルカーに乗って来た人達の目的が分かりました。
2009年4月30日(木)
困ったときの神頼みと言いますがその神様、神様は神道で、仏様は仏教ですが、神様と仏様が合併している(神仏習合(しんぶつしゅうごう))というのもあります。摩耶山にお詣りに行きました(1)
困ったときの神頼み、困ったときの仏様。
人事を尽くして天命を待つと言いますが、
とにかく「あとはよろしく」と、
お願いするときには、
神戸の六甲山にある摩耶山にあがり、
天上寺にお詣りして、
摩耶様に安産の祈願に行くことにしました。
摩耶(まあや)様とは誰ですか?
摩耶(まあや)様とはキリスト教ですか?
と、尋ねる人がいるかもしれません。
摩耶(まあや)様とは、仏陀(ブッダ)のお母様です。
キリスト教で言えば、キリストのお母さんのマリア様です。
2011年の8月のこの暑さはなんですか?
全国の猛暑観測地点が130に迫るとか、
北国の北海道の、そのまた寒い地域の北見までが、
猛暑観測地点になってしまって、
日本中が暑さにうだっている中で、
手軽な避暑は六甲山に登ることです。
六甲山山頂、摩耶山山頂から見る夜景は、
日本三大夜景のひとつであり、
神戸市内を一望でき、ビルの明かりが無数に散らばり、
息をのむような夜景が広がっています。
神戸には、1000万ドルといわれる、
有名な夜景を見られる場所があります。
日本三大夜景は
「函館山から望む北海道 函館市 の夜景」
「摩耶山 掬星台 から望む兵庫県 神戸市や大阪府 大阪市の夜景」
「稲佐山 から望む長崎県 長崎市の夜景」です。
摩耶山は正式名称「仏母摩耶山」と言います。
かつて中国に渡った弘法大師・空海が帰国の際に、
2体の摩耶夫人像のうちの1体を賜り、日本に持ち帰りました。
そして、お釈迦様とその母、
摩耶夫人に最もゆかりの深い、
天上寺にその夫人像を納め、
摩耶夫人堂を建立しました。
以来、山の名前を「仏母摩耶山」と名付けられ、
通称摩耶山と呼ばれています。
確かに、涼しくなりました。
自宅を出るとき、車の温度計は36度でした。
六甲山をぐるぐる回りながら、
山頂に着いた頃は28度です。
28度といえば、会社でクーラーをつけている温度と同じです。
クーラーで温度を下げると体によくありませんが、
自然の気温で28度になれば、クーラー病にはなりません。
景色を楽しんだあとは、摩耶産天上寺へ向かいます。
天井寺は、摩耶夫人にあやかった、
安産祈祷の有名なお寺です。
摩耶山天上寺には、子供たちの合格祈願、
阪神淡路大震災のときの復興祈願、
初孫ができるときの安産祈願など、
これまでに何度もお参りに来ているので、
だいたいお願いしたことは、叶っています。
摩耶山天上寺は、
一度火災で昭和51年(1976年)に全焼しているので、
今、再建しているお堂や、摩耶(まあや)像は、
昔のものではありませんが、
建物や像にお願いしているのではないので、
新しくても構わないのです。
お堂にあがり、跪いて、お線香をあげ、
次の孫が無事に生まれるように、お願いします。
摩耶(まあや)様にお願いした後は
、妊婦さんにもお守りを、
届けるため、安産守をいただきました。
それにしても、日本のお寺の修行所は、
高野山にしても、比叡山にしても、
山の高いところにあります。
俗世間と離れて、
世俗の欲望に囚われないで心の修行をするためには、
高いところの方が、俗人がやってこなくてよかったのでしょうが、
今は、修行僧も俗人も、その境目もあまりなく、
自由に行き来するので、
修行僧は、欲望を抑えるのに大変だと思います。
2010年8月5日(木)
まとめ
原始仏教を詠めば、
仏教は現世利益をお願いする宗教ではありません。
自分自身の心の平穏を修行によって形成する哲学のようなものです。
仏教のとらえ方は、哲学と成仏の二つ方法があります。
一つは、哲学としてとらえる方法です。
もう一つの考えは、
無知や愚鈍さのために自力を達成できない者たちのために
他力による成仏を推奨する考えです。