名嘉真(なかま)地区の公民館では、「名嘉真産業まつり」があり、恩納村村長の志喜屋文康さんが視察に訪れました 第104回沖縄訪問(4)
名嘉真地区の公民館では、「名嘉真産業まつり」があり、恩納村村長の志喜屋文康さんが視察に訪れました。昼食は、志喜屋文康村長を囲んで、糸数昭議員、琉球新報社恩納村通信員の小山猛三郎さん、松葉博雄で恩納村の産業発展の話になりました。恩納村商工会の事務局長の平田克裕さんと、経営指導員の金城茂孝さんは、松葉博雄の社長研究室を閲覧してくれています。
【沖縄文化の体験:旧正月を沖縄本島の恩納村で過ごします。沖縄では、旧正月のことを「ハチウガミー」と言います その4】
名嘉真産業まつり
「第6回旧正月・名嘉真(なかま)産業まつり」を見てみます。名嘉真地区の入り口には、名嘉真公民館があります。
公民館のホールに、「産業まつり」として、名嘉真地区の名産品を展示しています。
舞台の壁には、名嘉真地区の民俗行事の写真パネルが展示され、年間を通してお祭りが紹介されています。
三線を弾き、太鼓を叩き、合わせて踊りを踊っている様子が伝わってきます。
農作物を展示して、品評も行っています。九州で栽培されているザボンが、名嘉真地区でも栽培されています。
亜熱帯の植物を利用した、ブーゲンビリア、琉球松、ガジュマロなどの盆栽もあります。
じゃがいも、野菜の漬け物、大根の彫刻、金柑などが生産者の名前を表記して、出品されています。
金柑のような小さなミカンを出展したおばちゃんが、「何か出さないとと思い、畑から枝毎切ってきて、並べたんだわぁ」と言っていました。
ウッチン(ウコン)の根、生姜などの根のものも並んでいます。
目を引いたのは、みゆきホテルが建てられる前の安富祖から見た名嘉真までの懐かしい海岸線を描いた絵です。
豊かな自然を残すか、観光開発をしてホテルを作るか、議論した時代があったと思います。
沖縄の「県民の森」には、こんなに大きなドングリの実が実っているようです。
体重計があります。何に使うのかと思って見ると、山芋の大きさを比べるために計る体重計です。
今日の山芋の最大級は、75キロです。
1個の山芋が繋がりながらも、枝分かれし、太っていき、1個で75キロまで成長をしています。
名嘉真地区を探索してみました。
建設省国土地理院の標識「水準点」がありました。
川に沿って、昇っていくと、鳥居があります。
鳥居をくぐって、神社の敷地の中に入っていきます。
そうすると、この敷地には、昔ならがらの沖縄の霊気を感じます。
林が光を遮り、間近に迫った大きな岩や崖が、行く手を遮り、小さな霊気を囲む空間を作っていました。
眞那津地岳の眞嘉佐威部司を祀っています。
礼拝をし、恩納村の名嘉真地区に呼んでもらったことのお礼を言いました。
名嘉真産業まつり 取材は 琉球新報社恩納村通信員 小山猛三郎さん、
名嘉真公民館のテントに戻ってみると、参列者には、チーイリチーの食事をお昼ご飯として、振る舞われます。
松葉博雄も糸数昭さんと一緒にチーイリチーを頂きました。
恩納村議会議員の糸数昭さんには、知り合いの方が多いので、いろいろ皆さんが糸数昭さんの周りに集まってこられました。
恩納村の村長さんの志喜屋文康さんも来られました。
村長さんと記念撮影をし、一緒にお昼ご飯を頂きます。
テントの下で、昼食を一緒に頂きながら、村長さんの志喜屋文康さんは、
「どうしたら恩納村が発展するか」というお話をしてくれました。
観光の中で、ブライダル産業育成の考えもあります。
結婚式を恩納村でしようと思っても、その後、自分の思うような披露宴をする場所があったらいいなぁとか、ホテルではなくて、森の中で、芝生の広場で、多様な披露宴が出来る会場があったらブライダル産業にはいいのではないかという話も出ました。
琉球新報社恩納村通信員の小山猛三郎さん、
同席したのは、琉球新報社恩納村通信員の小山猛三郎さんです。、小山猛三郎さんは、名前とは違って、とても優しい話し方で、周りを笑わせます。松葉博雄は、小山猛三郎さんに「今日は取材ですよね?」と尋ねてみました。
今日は、旧正月の取材のようで、そうすると、いつごろこの名嘉真の旧正月は琉球新報に載るのでしょうか?
周りの人は、小山猛三郎さんの右腕を指して、「この腕次第」と茶化していました。
さすが村長さんになると、恩納村のために、いろいろな産業発展構想を考えながら、どうしたら恩納村が良くなっていくのかを考えているなぁということを正直に感心しました。
志喜屋文康村長を囲んで、和気藹々の食事になりました。
まとめ
糸数昭議員は、松葉博雄を紹介するときに、「松葉さんは、沖縄に100回以上来ているんですよ。
恩納村にも何回も来て、ホームページで恩納村の紹介をしているんですよ」と言われました。
「産業まつり」なので、恩納村商工会の方も来られていました。お会いしたのは、事務局長の平田克裕さんと、経営指導員の金城茂孝さんです。
志喜屋文康村長さんは、それだったら、これからもどんどん書いて下さい」と励まされました。
これから、名嘉真地区を少し歩いてみます。
2009年1月26日(月)