阪神淡路大震災より、14年経過しました。東灘の住宅に住むことも出来ず、さんプラザビルは倒壊し、避難生活をしていたことを思い出します
1995年1月の阪神淡路大震災から、今年は14年目になります。
今も、1月17日になると、神戸市中央区三宮にある東遊園地では、追悼の記念事業が行われています。
お昼休みを利用して、松葉博雄と奥さんは、阪神淡路大震災で亡くなった方への追悼に行ってきました。
東遊園地には、追悼の記念事業が行われています
上空から見ると、「1.17」と見えるように、青竹を文字配列に並べて、青竹の切り口には、追悼の霊を慰めるロウソクの灯りが灯っています。
さんプラザコンタクトレンズでも、例年1月17日に、追悼の意味を込めて、ロウソクをお配りしています。
テントで作られた記帳所に行き、名前を記帳しました。
大寺まり子さんがいないか、ひまわりのテントに寄ってみました。
テントで作られた記帳所に行き、名前を記帳しました
菊の花を頂き、慰霊の場所に捧げ、追悼の黙祷をしました。
この菊の花が浮かぶプールは、階段を下りていくと、下からはガラス張りに菊の花がたくさん透けて見えました。
地下室には、阪神淡路大震災でなくなられた方のお名前をプレートに刻み、遺族や関係者の方から花束が手向けられていました。
菊の花を頂き、慰霊の場所に捧げ、追悼の黙祷をしました
毎年、1月17日には、「慰霊と復興のモニュメント」を訪れます。
だんだんと、震災の日から歳月が経過して、松葉博雄も自宅が東灘で、会社が三宮で、罹災した日のことが、だんだんと記憶から離れていきそうです。
しかし、やはり、1月17日になれば、今日も阪神淡路大震災のことをまた、思い出して、あのときによく生き抜けたと、感慨深いものがあります。
東遊園地には、たくさんの人が集まってきています。
いろいろなグループの方が、いくつかの企画をし、お互いに励まし合っています。
市役所庁舎の前に、ステージを作り、震災復興をテーマにした、演奏と歌を歌っているのがマイクを通して聞こえてきます。
14年前、市役所のホールの中には、たくさんの罹災した人たちが避難していて、壁に貼っている「私はここにいます」のメッセージを読んで、知っている人の安否を確認していたことを思い出しました。
夕方になり、夜になると、ロウソクの灯りが闇夜に輝いて、命が燃えているように見えると思います。
2009年1月17日(土)