神戸吉兆で、姉二人と奥さんの4人で、私のお誕生日の食事会です。

投稿No:7816

神戸吉兆で、姉二人と奥さんの4人で、私のお誕生日の食事会です。お誕生日の食事会は姉二人と、久し振りの会食です。

姉二人と奥さんの4人で、私のお誕生日の食事会です。

誕生日の食事会は、二人の姉と、

奧さんと私の4人で神戸吉兆で頂きました。

神戸吉兆で食事をした思い出

2006年4月に、神戸吉兆で兄弟揃って食事会をした事を思い出します。

兄が亡くなったので、

4人兄弟は3人兄弟になりました。

普段離れて生活していると、

昔の兄弟のようになるまでには、少し時間がかかります。

兄弟と昔の会話

神戸吉兆で食事をしながら、

少しずつ昔話をしているうちに、段々と昔の兄弟に戻っていきます。

出る話は、亡くなった父母のことです。

少しずつ父母の亡くなった年に近づいてくると、

父母の体調が理解できるようになりました。

姉二人は私の小さい時のことを知っているので、

その頃の話になると、恥ずかしいことも出てくると思い、

なるべくその話は避けていました。

神戸吉兆のコース料理を頂いていると、

料理の飾りに使っていたショウブの花束を、

捨てるのならもったいないと思い、仲居さんに

「これ、持って帰っていいですか?」と確認すると、

「ショウブの花束は、また次の懐石で使うので、

持って帰らないで下さい」と言われました。

誕生日のお祝い膳

今日は誕生日のお祝いの会だと話すと、

「それでは、調理場にお願いして、祝い膳を用意しますね」

と、気を利かせてくれました。

お祝いのお膳は、陶器の宝船の蓋を開けてみると、

中に赤飯が入っていました。

赤飯と、鯛の焼き物です。

これがお祝いのお料理になります。

今日一番のご馳走は、稚鮎の塩焼きでした。

稚鮎は骨ごと食べられるような柔らかさです。

稚鮎を食べてみると、苔を食べている香りを、

口の中に感じました。

これから稚鮎がどんどん苔を食べて大きくなっていく時期です。

3人兄弟の中で誰が最後になるのか、

気持ちの中で考えていても、誰もが口には出しません。

兄弟だからといって、年の順からだとは限らないからです。

段々と思い出話になってきました。

父が産婦人科を開業していたので、

何か遊びに行く予定をしていても、

突然お産の急患が入ると、

予定は延期になったり、父

を残して行くようなことがありました。

平成の現代では、

産婦人科を選ぶ医学生は少なくなっているそうです。それは、

①勤務が過酷なこと

②時間が不規則なこと

③医療ミスがあれば、訴えられること

などが上げられます。

お墓の管理についても。

無言の内に私が松葉家の代々のお墓を管理するようになっています。

神戸吉兆のお料理は、

一品が少量ですが、少しずつ頂いてるうちに、

段々とお腹が一杯になってきました。

花川梅蝶師匠と松葉家、偶然の巡り合わせ

次女の姉との思い出は、以前にブログでも書いた、

名刺は廻るという思い出です。

金毘羅歌舞伎を観賞に行った時の事です。

たまたま同席した枡席に、

私は花川梅蝶師匠と相席になりました。

相席になった花川梅蝶師匠と話が弾み、

私の名刺を差し出して自己紹介をしました。

その後のことです。

その梅蝶師匠が、東京での古典芸能のお稽古の飲み会の席で、

若狭掾師匠の外弟子である伊勢松葉 こと 松葉博雄の姉が、

たまたま偶然に相席しました。

二人は初対面で、面識はありませんでした。

梅蝶師匠は、

「今年、讃岐のこんぴら歌舞伎に行った時、

こんな面白い人とたまたまご一緒しました」と、

松葉博雄の名刺を私の姉に見せました。

驚いた、驚いた、びっくり、びっくり。

「それは私の弟です。なんでこんな人を知ってるんですか!」と、

姉は驚きました。

一体どうして花川梅蝶師匠が松葉博雄の名刺を持っているのか、

びっくり仰天し、

それからの飲み会の話題は松葉博雄一色になったとの事でした。

姉からは興奮した声でその夜すぐに電話がかかってきたので、

この「名刺は廻る」ことは先日知りました。

こんな思い出話で盛り上がりました。

2018年5月9日