淳仁天皇の淡路陵は、巨大な陵墓です。社長ブログ/神戸の社長/社長の生活/淡路ブログ

淳仁天皇の淡路陵の脇には、大きな農業用の池があります。  淡路 (3)社長ブログ/神戸の社長/社長の生活/淡路ブログ

淳仁天皇の御陵に来ています。淳仁天皇陵は、その周囲は堀が掘られ、柵が設けられ、淳仁天皇陵に、何人も立ち入られないように、警護されています。

淳仁天皇淡路陵は、時々訪れて手を合わせています。その時感じるのは、淳仁天皇陵の前の、小粒の敷石は、いつも掃け目が付けられ、落ち葉や、風で飛んでくるゴミが、除去されていることです。

その管理は、宮内庁が行っているようです。

淳仁天皇の陵は、一つの山の大きさほど、大きな御陵です。面積は、堺市にある、仁徳天皇御陵の方が広いのですが、淳仁天皇の陵も、周囲を回ってみると、大きな広さを感じます。

古の時代から、天皇陵として敬われ、警護されているため、淳仁天皇陵に生えている樹木は、原始林のようです。

一本のクスノキを見ても、凛としてそびえ、空をつくような、高さがあります。

淳仁天皇が亡くなったのは、765年で、御年33歳の若さでした。西暦765年の日本の状況は、墾田永代私有法が、行き詰まっています。この年には、寺院以外の墾田開発を禁止しています。

道鏡が力を入れて、太政大臣禅師となった年でもあります。

南あわじ市の、淳仁天皇の御陵を歩きながら、もう少しすると、この土から、つくしも出て、春が近づいています。

遙か遠い昔の、765年の頃を、想像しようと思っても、それほど深い知識がないので、きっと、淳仁天皇は、もっと私のことを、後世の人は知って欲しいと、思っているのかもしれません。

淳仁天皇淡路御陵には、宮内庁から、次のような通達がでています。

一、みだりに境内に立ち入らぬこと

一、魚鳥等を取らぬこと

一、竹木等を切らぬこと

いつも不思議なのは、淳仁天皇の陵の脇には、たこ焼き屋のトラックが停まっています。こんな所で、お店を構えなくても、もっと別のところがあるのではないかと、思っていましたが、注意して見ていると、これが結構来客が続いています。

更に、離れて淳仁天皇の陵を見てみると、その規模の大きさに驚きます。日本史を思い出してみると、645年には、大化の改新がありました。この後、100年もすると、大化の改新の理念は、大きく変わっています。

そんな時代に、淳仁天皇は、どのような政治的な御立場にあったのか、もう少し本を読んで、考えてみたくなります。

2015年2月 5日(木)