四国霊場 第三番 金泉寺 亀光山(きこうざん)釈迦院(しゃかいん)と号し、 本尊は釈迦如来です。

四国霊場 第三番 金泉寺の本尊は釈迦如来です。  徳島 (20)

 四国霊場 第三番 金泉寺に来ました。

亀光山(きこうざん)釈迦院(しゃかいん)と号し、

本尊は釈迦如来です。

 

 「おへんろさん道しるべ」という看板がありました。

この辺りは、札所が近くに繋がっているので、

この地区だけをタクシーで回るサービスもあるようです。

順番通りに回るか、

近いところから遠いところに向かうのか、

効率的な参拝方法を考えるように、看板が出ています。

金泉寺公式ホームページによると、

聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、

「金光明寺」と命名されたと伝えられる。

そのころの本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、

脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。

弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、

村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、

この地に井戸を掘られた。

この井戸から湧き出た水は霊水で

「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、

寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とした。

その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇になられ、

弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、

金泉寺にもしばらく滞在された。

その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣った堂舎を建立し、

1,000の千手観音像を祀られ、

背後の山を「亀山」と命名し、山号も「亀光山」と改めた。

この堂舎には経蔵がおかれ、学僧たちで賑わったそうです。

以来、皇室との縁が深く、

長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。

また、源平合戦(元暦2年=1185)のおり、

源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、

戦勝開運の祈願をしたと『源平盛衰記』に伝えられている。

本堂の左手にある慈母観音子安大師は、

義経の祈願所ではあるが、

境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、

義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。

すこやかに育てと願う親心の観音菩薩。

いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。

(以上金泉寺公式ホームページより)

本尊真言は、「のうまくさんまんだ ぼだなん ばく」です。

 仁王像の右も左も、比較的新しい、モダンな作りです。

天皇家とゆかりが深いと案内があったように、

菊のご紋が随所にありました。

かなり荘厳な雰囲気が出ています。

あの石段、上ろうかどうしようか、迷いましたが、

無理をしないで、上るのを止めました。

参拝客に対して、礼拝の作法を教える男性が、

休憩所に座っていて、誰かが訪れてくると、

なんとなく参拝客の側に行って、

お線香やろうそくの立て方を指導しています。

ゆっくりと、境内のお堂を巡って、回ります。

デジカメのバッテリー不足は、

片山正喜さんから借りた充電器で、

再びデジカメは使えるようになりました。

社長研究室を始めたのは、

2004年からですが、当時と比べて、

デジカメの性能は格段に良くなりました。

メモリ量も増えて、旅行の途中で

メモリ不足という事態はなくなりました。

しかし、今でも続くのは、写真を撮りすぎると、

バッテリー不足になることです。

第三番札所 金泉寺を出て、

鳴門に向かっている途中、

以前にお客様にプレゼントするためのすだちを購入した、JA徳島北板東直売店に来ました。

そろそろすだちが、店頭に出始めたのかどうか、

JA徳島北板東直売所に寄ってみます。

徳島のおいしい梨が出ていました。

これは、持ち帰り用に購入です。

すだちも、ぼちぼち出ています。

ただし、最盛期のような、安い値段ではありません。

店番の担当者に、

すだちの最盛期はいつ頃ですかと尋ねてみると、

9月の下旬頃のようです。

あれも買いたい、これも買いたいと、

徳島の新鮮野菜と果物を前にして、

選ぶのに迷います。

梨は、1ケース買うことにしました。

人気が良いからです。美味しいからです。

そろそろ鳴門市が近づいて、

JR鳴門駅が、片山正喜さんとのお別れの場所になります

もう少し、四国巡礼の霊場があれば寄ってみたいと思います。 

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2014年8月28日(木)