四国霊場 第五番 地蔵寺にお詣りに行きました。
四国霊場 第五番 地蔵寺のご本尊は、勝軍地蔵菩薩です。 徳島 (18)
ご本尊が、勝軍地蔵菩薩の、四国霊場 第五番 地蔵寺にお詣りにきています。お堂で手を合わせていると、ご本尊釈迦如来像と、掲示がありました。釈迦如来も、本尊の一つのようです。
釈迦とは、お釈迦様のことで、ゴータマ・ブッダが、釈迦族の出身であったことから、ブッダのことをお釈迦様と呼ぶようになっています。
四国霊場五番は、地蔵寺なので、お寺の名前にちなんだ言われがあります。
公式ホームページによると、地蔵寺は、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年弘法大師が開創されました。大師は、自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、本尊に安置したと伝えられています。
その後、淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり天皇家が篤く帰き依えされました。
さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられています。
この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしています。
これらの寄進により寺領は拡大し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国におよそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられています。(以上地蔵寺公式ホームページより抜粋)
境内の大銀杏の樹齢は、800年を超えています。近づいてみると、とても大きな銀杏の木で、先日の雨と風で、銀杏の実が地面に落ちて、それを拾い集める人がいました。
銀杏の実は、ぎんなんです。ぎんなんの実を取り出すには、銀杏の実の表皮を熟れ腐らせて、取り出すことになります。
松葉博雄は子どもの頃、自宅に銀杏の木があって、銀杏の実から、ぎんなんの実を取り出す作業を、手伝ったことがあります。とても臭い仕事です。手がかぶれることもあります。
真言は、「おん かかかび さんまえい そわか」です。
釈迦如来像がご本尊と表示されていましたが、別の所では、本尊 勝軍 地蔵大菩薩と表示されています。
勝軍地蔵菩薩は甲冑を身にまとい馬にまたがる姿の像で、どうやら軍神のようです。これでは仏教とは言いません。
片山正喜さんは、五百羅漢を見たいという、強い気持ちがあります。
それは、等身大木像佛で、四国でただ一ヶ所、この地蔵寺にあるという掲示を見たからです。
五百羅漢像は、本堂とは離れた、奥の方にありました。
拝観料は200円です。一日どれぐらいの参拝客がこられるのか、わざわざ拝観料を頂く係員が一人、常駐していました。
羅漢とは、仏の位です。仏の位で高いほうの僧のようです。
拝観料を払って、京都の三十三間堂のような長いお堂を、一つ一つの羅漢像を見ながら、過ぎます。
窓からは、これまで見ていたお堂が見えます。
五百羅漢といっても、ホームページで見ると、200体ということです。
長いお堂に、200体もの羅漢が並んでいます。羅漢のお顔は、インド風のお顔です。
仏の位とは、悟りを開いた深さの位です。
片山正喜さんは、写真を撮っていますが、被写体の選び方は、羅漢像の独自性にあります。
獅子の像もあって、獅子の顔には小銭のお賽銭が乗せられています。
弘法大師の像が、羅漢像の終わりの頃に祀られています。
ゆっくり羅漢を順に見て、終わりは阿弥陀如来像です。
かなりゆっくり見たので、奧さんは先に車に戻り、車の中で待っています。
全体として、地蔵寺は、これまでのお寺の中では、広い敷地で、お堂の数も多くありました。
暗いお堂から外に出てみると、8月と言うのに、雲はまるで秋の台風のようです。これから大雨が降らないように祈るばかりです。
次は、まだ食べていない昼食を頂くお店を探す予定です。
2014年8月28日(木)