弘前のねぷた祭り 初めてのねぷた祭りは、太鼓の音も勇ましく、 目を引くような衣装です。

初めてのねぷた祭りです。弘前と青森では、ねぷたとねぶたの違いがあります。 青森・盛岡(4) 社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/メニコン

初めてのねぷた祭りを観るために、

すずめのお宿で美味しい和食をいただいた後は、

タクシーをお願いして、

アイコンの荒木一敏社長と一緒に、

ねぷた祭りの会場となる、土手町商店街に戻ります。

アイコンのお店は、土手町商店街に面していて、

ねぷた祭りの行列が、お店の前を右手から左手に、

次から次へとパレードのように、山車が移動します。

アイコンさんでは、毎年このねぷた祭りの時には、

お店の前に接待所を設け、多くのお客様に、

軽食や、お酒やワイン、ビールなどで、

おもてなしをされるそうです。

ねぷた祭りの時は、ビジネスは、早じまいです。

お祭りに押されて、商売が後ろに隠れてしまいます。

辺りが暗くなって、雰囲気が出てきました。

いよいよねぷた祭の鑑賞です。

ねぷた祭は、毎年曜日に関係なく、

8/1~8/7に開催されているようです。

その地域の町内会や、有志、ねぷた愛好会、

医師会などが、団体ごとにねぷたを運行して、

弘前市内を練り歩きます。

青森は「ねぶた」で、弘前は「ねぷた」と、

それぞれ呼び分けているようです。

なぜ、このように呼び分けているのでしょうか?

ねぶた、と、ねぷたの起源は、

元を辿れば同じ「眠り流し」です。

「眠り流し」は、

昔の人の、農作業の辛さからくる眠気や、

災厄を水に流すという意味で、

「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねぷた流し」

と訛ったのが、「ねぶた(ねぷた)」

になったと言われています。

初めて観る、ねぷた祭りの行列は、

太鼓の音も勇ましく、衣装も普段見られない、

目を引くような衣装です。踊りがあるのかと思うと、

行列には踊りはありませんでした。

アイコンさんは、ねぷた祭りのために、

お客様に配っているアイコンのうちわがありました。

青森のねぶたは、

とても大きな山車燈籠を大人数で踊りながら引く、

ダイナミックな動きが魅力の祭りです。

一方、今回観覧に来た、弘前のねぷたは、

扇形の山車燈籠に描かれた芸術的な武者絵を、

ゆっくりと見せながら練り歩く、

雰囲気のある祭りです。

夏の夜空に、美しい燈籠の絵が浮かび上がります。

このねぷたは、毎年一回限りの使用で、

祭りが終わると、絵が描かれた

和紙の部分は剥がされ、骨組みだけになります。

もったいないですが、次の年は次の年で、

毎年違う絵を描いて、団体毎に競うことになるそうです。

正面の絵は「鏡絵」、

後ろの部分は「見送り絵」といいます。

絵柄の傾向を見ていると、

題材は、三国志が多くありました。

特に、関羽の名前がよく出てきます。

ただし、関羽の表記は、漢雲と書かれていました。

大きな太鼓で、ねぷたのリズムを叩いています。

ねぷたのかけ声は、「ヤーヤドー」と言いますが、

これは、「さっさと(早く)進め!」と、

前の団体を急かす、方言言葉です。

鏡絵に描かれるのは、

三国志以外では、

同じく中国の歴史に登場する水滸伝や、

日本では、征夷大将軍の

坂上田村麿の蝦夷征伐などのモチーフが、

よく好んで描かれているそうです。

少し珍しい、凧絵をカルタ状にちりばめた柄の絵です。

ねぷたの後ろの部分と、

その真ん中の送り絵に描く絵は、

鏡絵と違って、各団体で、ふざけたり、

おどろおどろしくしたり、

多少羽目を外した絵を描いてもいいという、

暗黙の了解があるようです。

解説を聞くと、

弘前のねぷたは、

平面的な扇形で、青森のねぶたは、立体的な3D型です。

青森では、跳人(はねと)と言われ、

行列の人達は、足を跳ねて踊って歩きます。

ここに弘前と青森のねぷた祭りの違いがあり、

まずは名前そのものが「ねぷた」と「ねぶた」、

山車の形が「平面」と「立体」、

踊り子が歩くだけと、足を蹴って踊る違いがあります。

いずれもうちが本家、ここから始まっている、

あちらが真似していると、

本家・元祖の主張の違いがありそうです。

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2014年8月3日(日)